2012-11-07

富士太鼓


あらすじ
萩原院の臣下が、住吉から管弦の役を望んで上洛した楽人「富士」の横死について語り、妻が訪ねて来たら知らせるよう従者に命じる。妻は夢見の胸騒ぎから都に上がったのだが、夫が勅命で召されていた「浅間」に殺されたと聞き涙にくれる。形見の鳥兜と衣装を渡されると、妻は夫を留めるべきであったと歎き、形見をつけて狂乱の態で太鼓を夫の敵と思い定め娘と共に打つ。やがて富士の霊が妻に乗り移って太鼓を打ち楽を舞う。霊が身を離れると、妻は名手の夫を偲んで涙するが、太鼓を打ち続ければ修羅の心は去り、太鼓を形見と見置きて帰郷した。

次第  シテと子方
雲の上なほ遥かなる  雲の上なほ遥かなる
富士の行方を尋ねん

雲の上よりも高い富士の峰 はるばる雲居(内裏)に上った
わが夫富士の行方を尋ねよう

(ひとこと)
後述によれば妻には勅命もないのに勝手に参上した夫の身が案じられて後を追ったのです。
雲より高い富士という名を持つにしても雲居の高さに叶うわけがない。
この作品の本歌は富士と浅間山の煙比べで、そこでも富士は活火山の浅間に負けています。

結末  地謡
これまでなりや人びとよ  これまでなりや人びとよ
(イトマ)申してさらばと  怜人の姿とりかぶと(取・鳥兜)
みな脱ぎ捨ててわが心  乱れ笠乱れ髪  かかる(掛・斯)思ひは忘れじと
また立ち帰り太鼓こそ  憂き人の形見なりけれと
見置きてぞ帰りける  跡見置きてぞ帰りける

もはやこれまで皆様 これで失礼します
お暇いたしますと言って 楽人の装束や鳥兜を
みな脱ぎ捨てて 笠をいい加減にかぶり髪を乱し
私の心が乱れた原因はこの太鼓 このような思いは決して忘れることはあるまいと
また立ち戻ってきて この太鼓こそは夫の形見であったのだと
じっと見た後に帰って行った よくよく見つめてから帰って行ったのだ

(ひとこと)
狂乱の敵打ちが終わり、夫への恨みも夫を誇りに思う心も妻はすべて脱ぎ捨てて、ここで初めて夫の死を受け入れたのです。結末はまた悲しみの中の門出です。
宮中の人々への別れの挨拶は、観衆、読者への挨拶でもあり、舞台から下りるように妻は去って行きます。
それでも「跡見置きてぞ帰りける」には、断ちきれぬ妻の未練が感じられ、本人が去っても心はまだ舞台の上に残っているような・・。