2012-09-21

白楽天


あらすじ
唐の詩人白楽天が日本の知恵を計れという勅令により筑紫の松浦潟に到着する。そこで小舟で釣りをする漁翁と漁夫に出会う。漁翁は楽天の名や旅の目的を言い当て、楽天が目前を詩に詠むと、直ちに和歌に翻訳する。漁翁は日本では蛙や鶯までもが歌を詠むのだといい、舞楽を見せようと告げ消える。漁翁は実は住吉明神で、やがて気高い老神として現れて舞を見せ、その後、多くの日本の神々と共に神風を起こし、楽天を唐土へと吹き戻すのだった。

次第  ワキとワキツレ
舟漕ぎ出でて日の本の  舟漕ぎ出でて日の本の
そなたの国を尋ねん

「日の本」とは、日出づるもと(東)にある国

(ひとこと)
白楽天が登場歌をうたうというのに、なんともそっけない詞章。日本の優越性を宣伝する曲ですから大詩人といえどもワキであり、その言葉も軽く扱われているようです。

結末  地謡
住吉現じ給へば  住吉現じ給へば
伊勢岩清水賀茂春日  鹿島三島すは(・諏訪)熱田
安芸の  厳島の明神は
(シャ)かつ羅龍王の  第三の姫君にて
海上(かいしょう)に浮んで  海青楽を舞ひ給へば
八大龍王は  八りんの曲を奏し  空海に翔りつつ
舞ひ遊ぶ小忌衣(オミゴロモ)の  手風神風に
吹き戻されて唐船は  ここより漢土に帰りけり
げにありがたや神と君  げにありがたや  神と君が代の
動かぬ国ぞめでたき  動かぬ国ぞめでたき

和歌の神の住吉明神は、航海の守り神であり外敵調伏の軍神
「伊勢岩清水 賀茂春日 鹿島三島」は、「イ」「カ」「シマ」の連韻
「諏訪熱田」も外敵を征伐する神
「八りん」は「八音」のなまりか 続く「空海」は「九界」で数韻とも思われる
「手風」は舞の手を動かすにつれ起こる風
「神と君が代の動かぬ国ぞめでたき」と、最後は神徳と君徳とは一体であるという考え方により国土を祝福

(ひとこと)
結末の詞章の調子のよさは格別です。韻を踏んで神々を呼び出し、間に「すは」という感動詞を挟むところなど感動もの。
次第の「舟漕ぐ」「そなたの国」に応じるように、結末では「海上」「海青楽」「唐船」「動かぬ国」が用いられています。
日本は島国で外敵は常に海から来て、しかもそれを水際で抑えてきた歴史を思い起させる結末。
さて21世紀の日中関係はどんな結末になるやら・・。













2012-09-19

野宮


あらすじ
晩秋、嵯峨野の野宮の旧跡に現れた女は、九月七日の今日は光源氏が野宮に六条の御息所を訪ねた日と僧に言い、二人の間のこと、伊勢に斎宮の娘とともに下向した御息所のことを語り、名を明かして黒木の鳥居の陰に消える。その後、車に乗って現れた御息所は、賀茂祭の車争いの屈辱を述べ、妄執を晴らしてほしいと頼む。源氏の来訪を偲ぶ舞の後、再び車で出て行った御息所は、はたして火宅を出たのだろうか。

次第  シテ
花に馴れ来しののみや(野・野宮)の  花に馴れ来し野の宮の
あき(秋・飽)より後(ノチ)はいかならん

秋の花の咲くのを見馴れた嵯峨野の野の宮、その季節の過ぎた後はどんなに淋しいことか。
光源氏の寵愛を受けた栄華の時代が過ぎ、捨てられた後の淋しさを詠嘆します。

(ひとこと)
「花」は光源氏、「野の宮」は御息所のたとえであると読むと、彼女への哀れさが増します。
でも秋草の乱れ咲く野の宮だってとても「華やか」。

結末  地謡
ここはもとより  忝(カタジケ)なくも  神風や伊勢の  
内外(ウチト)の鳥居に  出で入る姿は
生死(ショウジ)の道を  神は享(ウ)けずや
思ふらんと  また車に  うち乗りて
火宅の門(カド)をや  出でぬらん
火宅の門を

ここの野宮はもとより忝くも 伊勢神宮の内宮外宮と同じ
その鳥居を出たり入ったりする姿は 
生死の道に迷うかと見え 神はご納受なさらぬ
お気持ちであろうかと また車に乗って
出ていったが 迷界の門を出て成仏したのだろうが
この迷いの世界の門を

(ひとこと)
作者(金春禅竹か)は源氏物語に深く依拠しながら、御息所の人間性をくっきりと描き出します。
主人公の成仏が不明である結末はめずらしく、しかも「火宅の門を」で切る大胆さ。
神仏から突き離された女は、恋の妄執により自分自身が輪廻の車になってしまうのですね。
話が終わらない「結末」は、読者の心にいつまでも残り続けます。
















2012-09-13

軒端梅


あらすじ
都の東北院に咲く梅は、藤原道長の娘彰子の御所であった時に、和泉式部が植え置いた軒端の梅であった。東国から出た旅僧とその梅をめでた女は、自分はこの梅の主であると言い姿を消す。僧の読経に現れた和泉式部は、道長が車の中で法華経を読誦しながら通った時に歌を詠み、その功徳で歌舞の菩薩になったこと、そして東北院こそ極楽の地であると言って舞を舞う。しかし僧の夢が覚めると式部も消えてしまうのだった。

次第  ワキとワキツレ
年立ちかへる春なれや  年立ちかへる春なれや
花の都に急がん

年が改まり 再び春となったことだ
新たに年の始まるこの春 都に急いで行こう
「立ち返る」は年と春の両方に掛かる。

(ひとこと)
「立ち返る」という言葉が、改まる、新たになる、という時の新鮮な引き締まった気持ちをよく現しています。
「花の都」の花は華やかさの意で桜ではないですね。梅は花の時期が長いのでそんなに急がなくてもいいのに。

結末  地謡
今は  これまでぞ花は根に  鳥は古巣に帰るぞとて
方丈の灯し火を  火宅とやなほ人は見ん
こここそ花の台(ウテナ)に  いづみ(出づ身・和泉)式部が臥所(フシド)よとて
方丈の室(シツ)に入ると見えし  夢は覚めにけり
見し夢は覚めて失せにけり

今はもうこれまでである 花は根に 鳥は古巣に帰るように 私も帰ることにする
この方丈に灯火のあるのを 人々は火宅だとなお思うかもしれないが
こここそ極楽の蓮華の台 その上に座している私の住み所なのだと言って
方丈の部屋に入るかと思ったら 夢は覚めてしまった
僧の見た夢は覚めて 和泉式部の姿は消えてしまった

(ひとこと)
この結末は、和泉式部がいかに世間から「恋多き女」と非難されていたかを伝えています。
歌舞の菩薩なんぞより、そんな彼女の姿を世間は求めていたのです。
方丈の室とはベッドルームです。あり得ないにしても式部と道長の逢瀬を想像してしまいます。
僧の夢が覚めるのは夢幻能のお決まりですが、この夢にはもっと深い意味をこめて読みたい。
















2012-09-08


あらすじ
旅僧が熊野から都への途中、摂津の国蘆屋の里に着く。川崎の御堂に泊ると、異様な姿の舟人が空舟(ウツボブネ)に乗って現れる。それは近衛の院の御代に源頼政に射られて死んだ鵺の亡心であった。亡心はその時の有様を語った後にまた空舟に乗って消える。旅僧の弔いに鵺の姿で現れた亡心は供養に感謝し、退治された時の模様を頼政の立場で語り、名をあげた頼政に引き換え暗黒の世界にいる身を照らしてほしいと願って海中に消えて行く。

次第  ワキ
世をすてびと(捨・捨人)の旅の空  世を捨て人の旅の空
(コ)し方いづくなるらん

世を捨てた身で 旅を続け 世捨人の身で 旅の空にさすらっていると
どこを通りすぎて来たのか わが身の過去もわからいないことだ

(ひとこと)
世を捨てるということは自分の過去をも捨てること。旅僧として当たり前のことなのに胸をうつ詞章です。聞き役としてのワキはここまで「まっさら」ではなくてはいけないのか。

結末  地謡
頼政右の膝をついて  左の袖を広げ
月を少し目にかけて  弓張月の  いる(入・射)にまかせてと
つかまり御剣(ギョケン)を賜り  御前を罷り帰れば
頼政は名を上げて  われは名を流す空舟に
押し入れられて淀川の  淀みつ  流れつ行く末の
鵜殿も同じ蘆の屋の  うらわ(裏葉・浦廻)のうきす(浮巣・洲)流れ留まつて
朽ちながら空舟の  月日も見えず暗きより  暗き道にぞ入りにける
遥かに照らせ山の端の  遥かに照らせ 山の端の月とともに
海月にも入りにけり  海月とともに入りにけり

「右膝をつき左の袖を広げ」は剣を拝領する時の作法か
「月も少し目にかけ」は月を横眼にみること
「弓張月のいる」は慣用の歌語
「鵜殿」は蘆の名所
「月日もみえず暗きより・・」は和泉式部の「暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月」に基づく
「海月」は海面に映った月影、空舟の意味にもなり、また海月(クラゲ)とも関係あるか

(ひとこと)
「平家物語は頼政の立場から描かれ、謡曲は敗者の側から描かれて哀感がこもる」と評価される名曲。和泉式部の歌が最大の効果をもたらしています。
山の端の月とともに海に映る月影も消えていまえば、そこには真の闇が広がるばかり。
化け物には成仏も許されないという哀しみに人々は共感します。
また、名をあげた頼政の武勇の躍動的な表現がすばらしい。鵺の苦悩ばかりが前面に出ていたらこれほど面白くはなかったはずです。