2011-08-31

南三陸の木


以前「高田の松」をとりあげましたが、これはYさんが、被災地支援で東北に行った時に撮影した「南三陸町」。
前列の何本かが倒れかかっていますが、津波が襲った方向なのでしょう。茶色の部分はそこまで海水に漬かったということかしら? 説明抜きで送られたきたのでわかりません。

送られてきたもう一枚(下)の写真は、「陸前高田千本松原痕」です。

一本だけ残った松を希望の松と名づけ「復興のシンボル」としたこと、その木を生き延びさせるプロジェクトが結成されたこと、そしてその努力と困難さ・・  すべては新聞報道で知ったことです。

ケチをつけるわけではないのですが、朽ちるままにしておいてはどうしていけないのでしょう。
モミュメントというものは、想像力を限定し、貧しくするような気がしてなりません。
どちらにせよ、亡くなった人は復興できないのですが。


上空に飛びかう鳥たちは餌を探しているのかな。自然は日々刻々と変化しているはずです。

写真にYさんのコメントはなく、各自治体別の「東日本大震災被災データ」が資料として添付されていました。
二つの地域以外には、石巻市、山田町、大槌町などが際立って死者が多いようです。「東日本」と大きく括ってよいものか、半年たってなお思います。

人口      死者    行方不明

南三陸町      17,431       543     437

陸前高田市    23,302     1,535      438










2011-08-30

松風


須磨に流罪となった在原行平は、海女の姉妹「松風・村雨」を寵愛しますが、3年後許されて都に戻り病死。須磨で帰りを待ちわびていた二人も死に、今は一本の松が旧跡となって残っています。

通りかかった旅僧が弔問をしていると、二人の亡霊が現れ、汐汲みの身を述懐します。
旅僧は宿を乞い、亡霊は行平への恋慕の思いを語り、供養を願います。
姉の松風は、形見の烏帽子をつけて舞ううちに狂乱し、松を行平と見誤り抱きつくなど情熱的。

しかし夜が明ければ、浦には松風が吹いているばかり。すべては旅僧の夢だったのです。

世阿弥作の「松風」は松尽し、詞章はもちろん鏡板に描かれた松の前に、つくりものの松が置かれます。この松が姉妹の墓標になったり、行平になったり。

恋慕の情熱も「松」に託されているのでしょうか。能で松といえば不変の目出度さを象徴します。
ところが詞章を読み返したらそれだけではなかった。

さてはこの松は いにしへ松風村雨とて 二人の海士の旧跡かや
痛はしやその身は土中に埋づもれぬれども 名は残る世のしるしとて
 変はらぬ色の松一木 緑の秋を残すことのあはれさよ

旅僧の台詞です。秋になり他の木々が紅葉しても、松だけはいつも緑のまま。同じように松風の恋の苦しみは変わることがない。なんとまあ哀れなことよ。

恋にも終わりがあった方が幸せですよね。秋に紅葉せず、冬に落葉しない松が気の毒に思えてきました。
とはいえ「赤い松葉」というのはどうも・・。

これは落羽松(ラクウショウ)。松とは名ばかりでスギの仲間です。





2011-08-27

病気?

10日ほど前に撮ったとなりの公園の松。この木だけまだらに樹皮がはげています。
松の樹皮が「亀甲形」と知り、松に因んでおめでたい名だと、木肌を見比べている時に発見。

「マツノマダラカマキリ」という虫がいるそうですが、そのカマキリが食べてしまった痕なのか。公園は大田区の管理ですから、病気なら何とかしているはずですけど。

委託の造園業者は、年がら年中、木や枝をバッサバッサと切り落とし、園内の道は一本残らず草を抜き、「お座敷」のようにしています。
予算消化と効率優先の作業で、下草は笹の葉ばかり。沢山のチョウや野鳥はどこへ行ってしまったのか、近頃はまったく姿が見えません。

多摩川台公園は古墳群を整備して作られ、最も大きい「亀甲山古墳」は昭和3年に国の史跡に指定されています。松の樹皮とおなじ亀甲ですが、こちらは「カメコウヤマ」。

公園には立派な資料館までありますが、古墳の内部は未調査とか。それもおかしな話ですね。






2011-08-25

巴水の木

Yさんからの絵葉書より
どちらも川瀬巴水の版画作品で、上が「金沢本多町」、下が「馬込の月」。

Yさんは、みずから「気まぐれ美術館」と称し、不定期ですがアート絵葉書を送ってくれます。
今や現実の美術館に出向くことは皆無なので、大変うれしい「お便り」です。

携帯を変え写真をうまく撮れないので、今までに頂いた絵葉書を検索してみることにしました。

桜の絵などもありましたが、何といっても凄いのは「巴水の樹木」。
とんでもない大きさと高さ。まるでお化けの木のようです。
葉書が届いた時には気づかなかった巴水の樹木の表現。彼は木だけでなく「水」も独特ですが。

「金沢本多町」の木は屋敷林で、塀の内側にあるということがミソですね。
青空にもくもくと上る雲以上に、小路を歩く赤い帯の女性に覆いかぶさっています。

日差しの在るなしで、木の色はこんなにも違う。金沢という街の奥行まで感じさせます。
日盛りに出歩く女(ひと)の、傾げた傘の色っぽいこと・・。

「馬込の月」の方は、大田区に住んでいるため、眼になじみ過ぎて驚きがない。
しかし、青と黒、松と家と田んぼだけで、こんな名作に仕立ててしまうなんて、ただただ畏れ入るばかり。職人技に近いですかね。






2011-08-23

派手松

能舞台の背景には、不変の背景として「老松」がえがかれます。
神木である「影向(ようごう)の松」を象り、「久」の字を裏返し逆さに立てた形の枝ぶりにするという口伝があります。
笛柱側には竹の絵。ともに舞台の後ろの地面から生えている心なので根はかきません。
(能楽入門より)

ところが(昭和)ともなれば、老松ではなく、若松がニョキニョキ出てきます。
堂本印象の「若松」

京都観世会館                               
堂本の松は溌剌として素晴らしいです。半世紀たっても少しも古びず、会場の雰囲気を明るくしています。能の未来に希望が見えてくるようです。
しかし一つの芸術作品として完成されたものが、舞台の背景にふさわしいかどうか・・。
能舞台の松は、銭湯の壁にかかれていた「富士山」の絵と同じでいいと、私なぞは思うのだけど。

千住博の「老松」

宮城県登米町の「伝統芸能伝承館(森舞台)」

創成期の中世では、能は寺社の境内で上演されていました。背景には必ず松があったでしょう。
千住のえがく(平成)の松は、野外劇の荒々しさや素朴さを象徴するような松です。

シテやワキが松にのまれそうで怖いですが、案外そこが面白いのかもしれない。










2011-08-22

もみじ acero giapponese



昨年、イタリア在住の私の友人(日本女性)が、モミジの写真を送ってくれました。
そこには「わたしのモミジ」というタイトル。松ブログに色を添えたくて載せます。A子さん見てね。

日本のご親戚から苗を送って貰い、自分の庭に根付かせたそうです。
秋になれば世界中で紅葉は見られますが、「イロハモミジ」は日本が原産みたい。

国際結婚をした彼女は、故郷日本との距離を上手にとって、40年以上もイタリア中部の山間の町で暮らしてきました。
それでも年をとると日本への懐かしさが募るのでしょう。それは日本にいても同じで、私など今や国粋主義者もいいところ。

といいながら、頼んで送って貰った「イタリアの山の写真」には、涙がこぼれんばかりです。
この山を望む小さな町に住んでいた頃は、ローマやベネチアの都市に憧れていたくせに。

若気の至りで辛く思うことも沢山あった時代。でも背景の山はこんなにも優しかったのです。







2011-08-20

松虫


「花のほかには松ばかり」の著者、七回忌になる故山村修さんが、ことのほか愛した謡曲です。
シテの詞章で物語のおおよそがわかります。

 むかしこの阿部野の松原を 
  ある人二人連れて通りしに折節松虫の声おもしろく聞えしかば
  一人の友人(ともびと) 彼の虫の音を慕ひ行きしに
 
  今一人の友人 やや久しく待てども帰らざりし程に
  心もとなく思ひ尋ね行き見れば
  彼の者草露(そうろ)に臥して空しくなる

はじめの青年が虫の音に導かれ、秋の野に吸い込まれるように消えていきます。
そしてもう一人が友を追ってみれば、彼は草の上に骸となっています。
  死なば一所(いっしょ)とこそ思ひしに
  こはそも何と云ひたる事ぞとて
  泣き悲しめどかひぞなき

こちらの青年は悲しみのあまり、松原の池に身を投げ死んでしまいます。
二人は一段と仲がよく、花を見るのも月を眺めるのも、いつも一緒だったので・・。

「松虫」といえば、すぐ「男色」だの同性愛だの言われることに、山村さんは反発しています。
抽象化された透明な青年が、鳴く虫をたずね野山を歩き、心尽きて空しくなった。いはば死の芯をなす死だというのです。文化的な価値づけをすることが厭なのだと。

私は同性愛でもいいと思います。でも先の青年は、松虫だったのではないでしょうか。彼が伏した叢から松虫が一匹飛び出たかもしれない。

 松虫の声 りんりんりん りんとして夜の声

りんりんりんで、思い出したくないことを思い出してしまいました。
今朝、ケータイを洗濯機で洗ってしまったのです。
アレチウリ刈りで泥だらけのズボンのポケットに入っていた、固定電話代わりでもある電話を。

私も松虫になって一晩中なきたい気持ちです。








2011-08-18

松師

画本東都遊 上 「請地松師」   北斎

「狂花」は、北斎の「狂歌絵本」についてのブログを開くつもりで付けた名前ですが、松ブログにも難なくスライドできました。

ほかにもブログをやっていて、そこでは虫の名。
http://blog.goo.ne.jp/aretiuri  
夏の風物詩アレチウリ。だったら良いのにね。アレチウリは外来植物、毎朝河原で駆除するはめになっています。せめて松の木陰で涼みたい。

さて、画本東都遊(えほんあずまあそび)は、江戸の名所が華やかな色刷りで描かれ、狂歌は添えものです。中では蔦屋重三郎の「耕書堂」の絵が有名。


請地というのもめずらしいし(墨田区)、松師も辞書には載っていませんでした。業界用語かしら。

盆栽の枝を、口にくわえた糸で撓めている様子、鋏の下の支柱?など、北斎の観察はとても細かい。庭の松には重石を下げ、枝ぶりを良くしてから高く売るつもりですね、松師さん。

いまよりの 代の数とりに 千年の  種を実うゑの 松の 若はえ  (石田未得)
みとく、しっとく、なっとく、となるには、狂歌辞典を繰って(そんなもの持っていない)いろいろ調べてみないと・・。未得は上方狂歌界の名手なので、東京っ子としては敬遠ぎみ。

今日は、暑くて頭がぼーっとしているので、もうやーめた。






2011-08-16

三島の松

Dさんに松ブログを始めたと教えたら、「三島を皮肉ってつけたタイトルなのか」と返事があり、えっ?と、慌ててネットで調べてみました。
はずかしながら、三島由紀夫が松を知らなかったという有名なエピソードを、私は知らない。

ドナルド・キーンに同行した熱海で、松の木をさし「あれは何の木?」と植木屋に尋ねたそうです。
松の種類を訊いたのだとか、能舞台の松や盆栽の松が「三島の松」なのだから、自生の松がわからなくて当然だとか、意見もまつまつ(オーさぶっ)。

真実はどうでも、三島は読まれずに語られるだけの作家になっているようです。
彼の早熟と美文に夢中になった時代もありましけど、その事は内緒にしておきたい。

ついでですが、三島が松を知っていたという理由に、徴兵検査を兵庫県加古川市の公会堂の松の下で受けたからというのがありました。
田舎の方が不合格になる可能性が高いと父親がすすめ、本籍地まで行ったのです。




今も現存する、これも「三島を語る松」です。ひ弱でいびつな彼みたいと言ったら、松にお気の毒。
戦死した若者は、ニ度とこの松を仰げなかったのですね。







2011-08-15

お盆の松

ブログを開設したきっかけは、「俗世を清廉に生きる自由人ひろちゃん(ブログタイトル)」との出会いにもあります。

ひろちゃんは、川中島で果樹園を営む(まだビジネス以前らしい)傍ら、ご自分の所有する松林!の松の剪定までなさっているのです。何て贅沢な、羨ましい、いや悔しい! 

家から2分の多摩川の河原にも、松林はあるのです。いやあったというべきか。
4年前まで一緒にいた犬が散歩が大好きで、一日に何度も松林を通り、河原で遊びました。
心臓病になってからは夏の暑さが大敵で、外に出たがっても、涼しい風のわたる松林でストップ。でも、最期の夏も、松林のあるおかげで散歩に行けたのです。

その犬が小さい頃から、松の数は減り続け、近頃は見るかげもありません。
今日はお盆なので、犬を偲んで写真を撮りました。右はじの松は枯れています。


日本の高度成長期に、河原には野球・サッカーのグランドが何面も整備されました。きっと沢山の松が切られたのだと思います。


これは3月12日の朝、大震災の翌日の河原です。私と犬二匹以外、誰の姿もない何だか荒涼とした風景で、放射能も降っている・・。

今朝、空を見上げると、「お盆」のような白い月が浮んでいました。子どもの頃、母から、亡くなった人は昼間の白い月になると教えられました。

ひろちゃんは自由人なのですから、川中島の松林にはきっと自由な風が吹いていることでしょう。
私がブログで探したい松は、風と戯れている松。

2011-08-12

安曇野の木

信州安曇野、常念岳を望む分譲地に、息子夫婦が家を建てました。

先週、日帰りで訪ねたのですが、家周りの木々に園芸好きの息子の妻のセンスが光っています。

エントランスの一本が「白文字」というのでびっくり。初めて聞きましたから。黒文字のように楊子にするのかしら。
もう一本は「これは知ってる、モミジだね」と言ったら「×」。名前を聞いたのですが、帰りの「あずさ」の中でもう忘れて・・。

仕方なく、写真と名前を送信して貰いました。そうしたら、他の木もついて来たので、説明文もそのままに掲載。今日も暑いので、ブログの記事づくりも楽をしないと。


しろもじとボンボビ
フィンランドbobi社のポスト/ロンドン衛兵のとんがり帽子をイメージ


しろもじの実


コハウチワカエデ

赤と黄 混じって紅葉します
カエデはメープル カナダの木でもあります
だから 和にも洋にもなります

コデマリ
春には白い花で満開になる予定


アナベル
西洋アジサイ アナベルです
信州では アジサイの開花は7月です
周りの花が少なくなった時期に咲く予定 
きみどりいろで 葉っぱもちょっと明るい感じです

コハウチワカエデと空
コハウチワカエデは葉っぱのかたちもかわいいです

撮影 Yoko(2011/8/12 )

私が覚えられなかったのはこの木の名前でした。ウチワだから日本語なんだろうけど。
画像は借り物ですから、転載はご容赦。



おまけ
エントランスは、S字に曲がった「アンティークれんが」によって導かれます。
少年の足にあるのは、虫さされの痕でしょうか。
この子が大きくなった時にも、安曇野が自然ゆたかな土地でありますように。









2011-08-11

隣りの松

我が家は公園と接しています。
多摩川を望む高台の公園には古墳遺跡が数々あり、桜の名所でもあるのですが、それ以上に松が植えられています。

案内板は「こもまき」の説明です。冬はすべての松が「はらまき」をするので松だわかる。

その松にも種類があるのは知ったのは最近のことです。
「くろまつ」と書かれた札が下がっていて、そう思って見れば肌は黒っぽい。
「黒松」というと、どうも私は日本酒を想像してしまうけど。


枝ぶりなどは難しくてわかりませんが、幹の太さ、曲がり方、そして凹凸ある木肌を眺めるのが楽しくなってきました。これは赤か黒か・・札がないともうわかりません。








2011-08-10

松風の書

黄 庭堅
黄庭堅(こうていけん)は、北宋の四大書家のひとりで、草書を得意としました。

これは台北の故宮博物院にある「松風閣詩巻」の冒頭です。
湖北省の樊(はん)山で、鬱蒼とした老松の間にある楼閣に「松風」と名を付けたのでしょうか。

詩は26行と長く、松風閣での交遊をうたい、最後に身にかかる束縛を脱することができようかと結ばれます。

日本人は松風に「松籟」という漢語を当てたがるけれど、本家は案外素直です。
昔は海辺に行くと、必ず「松籟荘」という民宿がありましたっけ。





高田の松

地元で燃やされて大正解


復興支援というけど、高田の松は、「都」へなど上らず、陸奥の地で人々の供養のために燃やされてよかった。京都の大文字にいくら宗教的意味を付与しても、夏の一大観光イベントであることは確か。

植物というのは動物とちがって移動ができません。
土地を開発する時には、その土地に昔から生えている樹を植えればよく育つといわれます。
千本松原は伐採用の植林ではなかったのですから、高田の地に還るのが一番だと思います。







2011-08-09

庭の松

何と不格好な松なのでしょう。剪定をした植木屋さんを値切ったせいかしらね。
携帯で写真を撮る私の腕もわるいし。

これは庭の中央にあるヒマラヤ杉です。
ヒマラヤ原産の「松」が、明治の時代に入って来た時に、杉と間違えて名付けた・・というけど眉つばかも。 ヒマラヤ松では舌をかみそうなのでヒマラヤ杉にした、というのが私の説です。
松葉のような葉っぱがバラバラと滝のように落ち、雨樋やガレージの側溝を覆い、掃いても掃いてもきりがありません。
でも庭にある三本の大木のうちの一本で、彼ら(彼女ら?)のお陰で、真夏でも我が家は涼しく、とても大切な木です。






2011-08-05

セザンヌ

松の木のあるサント・ヴィクトワール山

ブログでとりあげる第一号はセザンヌの松です。
浮世絵の構図だと、いわれればわかります。

大きな松の木

この絵の松は暗い感じ。でも斜面の土が鮮やかで、夜とも昼ともわからない不思議な絵です。

セザンヌの戸外の絵には必ず「樹」が描かれているそうです。
彼の「樹の絵」について、詩人の長田弘さんが、日経新聞(08年)で述べています。

 (セザンヌが)描いたのは、あたりまえの日常のなかにある、およそ平凡な樹だ。つねにただそこにある樹として、ごくごく等身大の樹を描き、セザンヌは終世、樹と共に在る生き方をくずさない。
 
 世界の中心にあって空をささえていた神樹がなくなって、空が初めて人間の頭の上に落ちてきた時代に、セザンヌによって、わたしたちは、世界のどこでも、ありふれた無数の無名の樹が、この世界の平衡と確かさをつくっているのだということを発見したのではなかったか。

衝撃的な言葉で、思わず記事を切り抜きました。
私は、「無数の無名の樹」というところを「人」に置き換えて読んでいます。ブログをはじめるきっかけとなった言葉です。

長田さんが好きな絵は、最晩年の油彩画である「大きな木々」。
日経の紙面を携帯で撮影しましたが、この木は松ではないでしょう。三本の木に三本の自由があるところがいい。

大きな木々