2011-09-26

パンパスグラス



河原の散策路脇にあるエキゾチックな草木は、南米原産「パンパスグラス」。
誰が植えたのか、自然に生えたか、とにかく河原を散歩する人たちがとても大事にしてきました。

和名を「白銀葭(よし」)というように、ススキに似た白い穂が秋の風にふわふわと揺れます。
それが年年、株も小さく穂の数も減って来たのは、穂を取る人が後を絶たないからです。
神代植物公園の巨大パンパスグラスが有名になったから?

昨日も腕いっぱいに抱え込んで持ち去った人が目撃されています。
そのうち丸坊主になってしまう。みんなの不安を聞き、せめて「注意書き」だけでもと、途中から折られた茎に吊るしてきました。
こんなこと私だってやりたくはないです。


株のそばには何本か落ちている白い穂。「花盗人」がわざと捨てたのかもしれません。
取った分は「すべて」部屋に飾るなりドライフラワーにするなり、生かしてほしかった。それが花盗人の仁義というものでしょう。








2011-09-23

台風15号


多摩川グランド裏の河原は、10年来の朝夕の犬の散歩コース。それだけでなく、夏の間は、川べりにはびこる外来植物のアレチウリを抜き取る作業をしているので、私にはとても親しい場所です。

ああ、それなのに、一昨日の台風で枝を落とした「この木」の名前を私は知らない!


植物の知識ゼロで「松ブログ・木ブログ」もないものだと、時々自己嫌悪に陥りますが、ブログの(そして人生の)先輩にこんな言葉で励まされたら、折れずにすぐ立ち直ってしまいます。

あれこれ想ったことを表現するのが、表現できるのが人間です。
  人間一人には一人の物語、100人いれば100のそれぞれ違う物語と想いがあります。
  自分の物語、想いを書いてください。
  そうすれば誰でもみんな「そうなんだ、そうだよね」と思ってくれます。



今年の6月、この木の下で手をあげている白髪頭が夫で、アレチウリを抜く作業に集まって下さった若者たちに挨拶をしています。
彼は今朝も、「桐の木が折れてしまって残念だ」と歎いていますが、本当に桐なのかしら。白い花をつけていたような気もしますけど、どうも信用できなくて・・。






2011-09-18

伐られた木


インドネシア産のチーク材が我が家にあります。まだ森林伐採や輸出の規制がない頃に、丸太を現地で半分に切り、テーブルに加工し運んできました。

丸太の値段は安くても、搬入までの人手と費用はどれほどかかったことか。
長さは4メートル近くあり、三分の一を切ってローテーブルにし、グランドピアノ三台分の重量を分散させるために敷台を作り、ようやく客間におさめました。

それから十五年、微動だにしないテーブルは来客との格好の話題ですが、伐られた木が無惨で、樹齢を数える気になれません。
というより、望んで伐採させた訳でなくとも、熱帯雨林の破壊に一役買った気持ちになるのがイヤ。大木を独り占めにしている恥ずかしさもあります。

せめて大勢の方に、森林の豊かさを感じながら食事をして貰おう。話も弾むかもしれない。
そう思って暮らしてきましたが、近頃はお客料理が面倒になって・・。きょうも丸太の下には飼い犬がもぐりこみ、上では猫が昼寝をしています。


チークビジネスは儲かるのです。インドネシア政府が統制管理をしても不法伐採は止みません。








2011-09-13

松自慢

川中島在住のOさんのブログ(youngfarmer.blog89.fc2.com)より写真を拝借。

Oさんは、ここから眺めるお寺の「大赤松」の姿が最高だとおっしゃいます。
でも、「隣の整骨院のご主人は、自分の家から眺める松が一番だという」のだそうで、ほほえましい松自慢、いや松ビュー自慢。
豊かな自然環境もさることながら、お隣同士の語らいが羨ましい。

樹齢は二百年か三百年か。老木らしからぬ若々しい「大赤松」を眺め、Oさんは活力を得ているのでしょう。日々の奮闘ぶりがすごいです。

松自慢のできない私の「お気に入り」は、我が家のヒマラヤ杉の「夜の眺め」です。
夕食後、ゴミ捨てに庭に出て見上げると、昼間の雑駁さが消え失せ、夜の樹はしっとりと優しい。名月の先週は最高でした。

オキーフの作品「ロレンスの家の樹」のような生命感はありませんが、ほんの少し似ています。

ロレンスの家の樹

「月が松林にはさまれた山の斜面を照らしている。牧場の家の窓は閉まっている。家の前に静かに無関心に生えている、大きな松の木だけが生きている」 D.H.ロレンス







2011-09-09

えのき

前々回の「抱き合う木」に、こんな感想が寄せられました。
えのきは硬くて、何の役にも立たない木です。硬いから、ねずみさえも歯が立たないからと苦労して蔵を造るとと今度は太陽の光で、たわんで、隙間が開くような蔵で全く役に立たない。そのえのきが高級な松に身を寄せている姿は、感動ものです。泣けます。
山本周五郎の「榎物語」にまで膨らませて読んで頂いたようです。役に立たない「榎」というのに、永井荷風にもある「榎物語」。井上靖の「あすなろ物語」も含め、三作は映画化されていますね。
日本の文芸が花鳥風月に依っていれば、「木」のつく小説が沢山あって当然。ですが、北杜夫の長編「楡家の人々」は、「楡」のもつ西洋近代風なイメージで成功。青山の脳病院の話ですから。
江戸の人は役立たずの「えのき」を、街道沿いの一里塚に植えました。
この木を目当てにしながらの徒歩の旅。今日のような残暑の日には、榎の木蔭に「ああ、ありがたい」と一息ついたことでしょう。
「松」も一里塚の代表的な樹木らしいのですが、適「材」適所ということを思えば、「えのき」に軍配をあげたいな。
 板橋宿(英泉)






2011-09-08

モスクワの月


イタリア在住のAさん、この夏のバカンスに「モスクワ」を訪れました。

お連れ合いが大型船の船長でしたから、彼女も世界中を旅しています。でもモスクワは初めてだったのかな? 私のもとに届いた絵葉書にはこんな文面が。

毎日、暑さにまけずあちこちまわってます。
来て自分の目で見ないとわからない所、TVニュースで言うこととはずいぶん違うことが、ガイドを通してわかりました。

イタリアではモスクワについてどんな報道がなされているのか、そちらの方に興味がわきます。

さて、Aさんが現地で撮影した写真が、ローマ字表記のメール文に添付され送られてきました。
タイトルは「mangetu no akaihiroba」。満月の赤い広場。
外国暮らしが長い人の言い回し。でも「赤の広場」のイメージに毒された私にはとても新鮮です。

旅行は夏の盛りだったでしょうに、おぼろに霞む月はすでに秋を告げています。ほんと「ソ連は遠くなりにけり」ですね。

送られてきたもう一枚も幻想的な写真ですが、それはまた後日に掲載。









抱き合う木


73歳の叔母が「クモ膜下出血」で突然倒れ、F市の病院のSCU(脳卒中集中治療室)に入院しています。とても親しい叔母なので気が塞ぎ、パソコンに向かう気持ちになれませんでした。

手術は成功し命はとりとめたのですが、まだ脳梗塞を起こす恐れがあります。
それでも昨日見舞いの帰り、この木に携帯を向けている自分がいるのですから、薄情なのですね、私って。

いや、この多摩川台公園の二本の木が、「叔母と叔父の姿」に重なって見えたのです。
以前から随分くっついているとは思っていましたが、男と女が寄り添い、抱き合う形に見えたのは初めて。

叔母夫婦は親族の中でも有名な仲の良い夫婦です。二人とも温厚で知的で、そして労り合って長い人生を生きてきました。
今、叔父はどんな気持ちでいるのでしょう。病院では明るくふるまっていましたけど。

もとは他人なのに、いつかは血縁以上の繋がりになるのが夫婦なのでしょうか。
道側から見ると、松に寄り添うすべらかな肌の木には、「えのき」の札がかかっていました。