2012-01-29

松を越えて


我が家から最寄の「多摩川駅」までは、高台にある「多摩川台公園」を通り抜けて行くのが近道。この一本松まで来れば、そのすぐ下が駅構内。電車の行きかう音や発車サイン音まで聞こえてきます。

「正月ウツ」と勝手に名前をつけて引き籠っている私・・。結局、原宿の展覧会へも行かず、グズグズしているうちに期日終了。

この松を越えれば、12分で「渋谷」だというのに何というテイタラクでしょう。もうブログも止めにしたい気持ちです。

でも、それでは女がすたる。いやいや、励まして下さる方に申し訳ない。細く長く、途中で切れても(そうです、素人さんの打つお蕎麦のごとく)、無理をしないでやって行こう。

たまたま大震災が起こった年に次々と親族の女性達が倒れ、そのショックが尾を引いているにせよ、そろそろ抜け出せるはずです。
人生60年、「美人じゃないのだからせめてニコニコしていよう」と生きてきたのですもの。

そうだ、樹を愛する詩人の「長田弘」が新しい詩集を出したから読んでみようかな。タイトルは「詩の樹の下で」。これならパソコン部屋にいながら手にはいるし。


今年の寒さは厳しいものですが、東京では雪が降っても積もるまでには至りません。
これは5年ほど前の「雪景色」。お隣りの方が撮って下さった貴重な一枚です。








2012-01-19

未開紅



先週、茶道の先生をしていらっしゃるお隣の奥様から頂いたお菓子です。お茶席のお裾わけ。銘は「未開紅(みかいこう)」。梅の名だけに中国風ですね。

寒さの中で、今か今かと春を待ち構えている「つぼみ」の可憐さ。「時」の経過にも「美」を見出すのが日本の文化です。
ほんのり甘いピンクを眺めていたら、私も気分を変えたくなりました。

親しかった叔母の突然の病気と後遺症に、人生の空しさを覚えて心身が弱くなっていたのです。(まだ若い証拠かしら)
でも、生老病死は自然の摂理です。冬の季節を耐えて新しい命は生まれくるのです。運命を受け入れくよくよせずに、春を探しに行きましょう。

まずは庭の紅梅から。


普段なら今の時期には、一つや二つは花をつけるのですが・・。この冬はよほど寒いとみえ蕾は固いまま。週明けには再び寒波が来るそうで、開花はいつになるやら。

それにしても自然観察は寒い! 暖房のきいた都心の美術館で「春探し」はできないかしら。

原宿の「大田記念美術館」では鴻池コレクション「扇の美」を開催中。ブログのネタ探しも兼ねて、明日は思い切って外出してみます。

扇は開いてこそ世界が見えます。














2012-01-04

墨絵の松



昨年末、川中島のOさんのブログに載った写真が忘れられず、年始になってお借りしました。

見慣れたお寺の松だが、今朝の松はとりわけ神々しいほどの姿を見せてくれた。  
・・枝につもった雪が何時までも融けないので墨絵の世界が堪能できた。

  http://youngfarmer.blog89.fc2.com/blog-entry-1288.html 

寒空にたつ松の木に、身の引き締まる思いがしますね。

折しも、日経の「新春対談」では、「長谷川等伯」が取り上げられていました。
「等伯」を連載中の安部龍太郎氏と、等伯ファンだという中村吉右衛門の語り。「見出し語」を並べて内容を紹介します。

武士の魂持ち続け     権威に挑んだ等伯  
人間性、家族愛にじみ出る    死をバネに生き抜いた人

私がブログタイトルに「松林図屏風」を使うのは、まさに「死をバネに生き抜いた人」である等伯に魅かれるからです。

非凡な絵師であった息子「久蔵」の若すぎる死。父親の慟哭が、郷土七尾の松林から聞えます。
「世阿弥」もまた、「元雅」という天才的な能作者であった32才の息子を失いました。どちらにもあるのが権力により暗殺されたという説です。

子どもが親より先に逝くだけでも悲しいのに、芸術家として次代を託す人間を失ったことの悔しさ、そして孤独。しかもその死を引き寄せたのは自分かもしれない。

彼らの苦しみはいかばかりか。しかし共に天才芸術家であった二人は、息子の死から逃げませんでした。芸術家としての前途を絶たれた息子たちが、背中を後押ししてくれると感じたことでしょう。

十郎元雅は、傑作「隅田川」を遺しました。




人買いに東北へ売られる途中で病気になって捨てられ、早春の「隅田川」のほとりで死んだ「梅若丸」はまだ十二歳。母は念仏を唱えることしかできません。

人間憂ひの花盛り 無常の嵐音添い
生死長夜の月の影 不定の雲覆へり
げに目の前の浮き世かな げに目の前の浮き世かな




追記(本日1月6日)
この原稿を途中まで書いて、冬場に流行する「ノロウィルス」に感染してダウン。よくやく起きだしての更新です。風邪なども全然ひかない体質であったのに・・。
正月は冥土の旅の一里塚。身体が弱くなるのは、あちらへ行くための旅支度なのですねえ。










2012-01-01

松囃子


2012年の「読初め」が、書棚からホコリを払い取り出した平井照敏の「新歳時記」だなんて悲しい。歳時記をめくり、松を詠んだ俳句を探そうというのですから。
常緑樹であるため季語になりにくい松は、新年の巻に多いのです。

門松、松飾り、松の内、松七日、このあたりは平凡で却下。

笏正しく 居眠る禰宜や 松囃子   (佐野青陽人)

これがいい。「松囃子」は謡曲の「謡初め」として知られていますが、室町時代の言葉だそうです。

都落ちをした足利義満を、播磨の赤松氏が「芸事」で慰めたのが正月13日だった。そこで松の内の囃子事であれば、「獅子舞」でもなんでも松囃子。

新年早々の私のブルーな気分を、金歯のお獅子がパクリと食べてくれないかなあ。
といっても住宅地は静まり返り、獅子舞の獅子は、歳時記の中で居眠っている事でしょう。


三が日の夕暮れ。大ケヤキの後には三つのブルーが広がっていました。