2012-06-25

関寺小町


あらすじ
七夕に、近江の国関寺の住僧が稚児を伴い近くに住む老女のもとへ歌道の話を聞きに行く。庵の老女との言葉のやりとりから小野小町であることがわかり、老女は老残の身を恥じつつも栄華の昔を偲ぶ。住僧に連れられて赴いた関寺の七夕の祭りで、稚児の舞に誘われて老女は忘れ得ぬ舞を舞う。しかし初秋の短夜は明けて杖にすがって庵に帰って行った。


次第  ワキとワキツレ
待ち得て今ぞ秋に逢ふ  待ち得て今ぞ秋に逢ふ
星の祭りを急がん


待つかいあってやっと今こそ、今秋の七月七日、かねがね待っていた秋の二星が逢うのが今夜のこと、星の祭りを急ぐことにしよう。

(ひとこと)
秘曲だからといって詞章を読むかぎりは他の名曲と変りません。
小町の知力とみずみずしさ、過ぎ去った艶やかな過去、童舞に誘われて舞った後のさびしさなど次から次へと読み所があり、老女ものにしては華やかな雰囲気。次第もそれに倣っています。
次第の「待つ」には二星同士の「待つ心」も。あきにあう、こんな「小さな」韻踏み?が好き。

結末  シテと地謡
はづかし(恥し・羽束師)の  はづかしの森の
木隠れもよもあらじ  暇(イトマ)申して帰るとて
杖に縋りてよろよろと  もとの藁屋に帰りけり
百年(モモトセ)の姥と聞こえしは  
小町が果ての名なりけり  小町が果ての名なりけり


はずかしいこの姿の、隠れどころもよもやあるまい。
お暇申して帰ると言って、杖にすがってよろよろともとの藁屋へ帰っていった。
百年の姥といわれたのは、小町のなれの果ての名であった。
小町の老い衰えた末の名なのであった。

(ひとこと)
「杖に縋りてよろよろと」。リアルな描写がどうも気になります。
曲は現在能なので、小町は「失せるとか消える」ことはなく「帰ります」。生き続けなければならない哀しさが「帰る」の繰り返しに込められているのでしょうか。
舞台では余韻の残る留め方(所作)もあるようです。詞章があまりに説明的ですものね。

















2012-06-20

善界


あらすじ
大唐の首領善界坊が日本国の仏法を妨げんと渡来し。愛宕山の太郎坊を訪ね協力を乞い、仏法の霊地の比叡山に向かう。比叡山では能力が飯室の僧正が、善界坊調伏の勅令を受け都に赴くことになったと触れるが大風に引き返す。僧正も車で禁中に向かうが突然の嵐となり、そこへ天狗姿の善界坊が現れ僧正を襲うが、仏法守護の神仏が出現し神風に追い払われて敗北退散する。

次第  シテ
雲路を凌ぐ旅の空  雲路を凌ぐ旅の空
出づる日の本を尋ねん


凌雲(雲を押し分けて天空を飛ぶ意)という漢語をひらいて「雲もしのぐ」。
「旅の空」といえば普通は旅に出ている時の心境をいうが、ここでは「空の旅」のこと。
「日」は前後にかかっている。

(ひとこと)
謡曲は「鬼」や「天狗」の荒唐無稽な話を格調高く繰りひろげ、それでいて滑稽さも秘めているところがよいのです。
昔の人にしてみれば、人間以上の存在感があったでしょう。僧正よりずっと。
「雲路を凌ぐ空の旅」にして読んでみると、詩ではなく散文になってしまいます。
次第は曲の冒頭にあります。

結末  シテと地謡
・・
立ちさると見えしが  また飛び来たり
さるにても  かほど妙なる  仏力神力
今より後は  来たるまじと
言ふ声ばかりは  虚空に残り
言ふ声ばかり  虚空に残って
姿は雲路に  入りにけり


「立」は掛詞、仏法を妨げる目的が逆に仏法の力を引き「立」たせることになったの意味を含む。
曲の最後が「雲路」。曲の始めも「雲路」。

(ひとこと)
雲から雲へ。飛行が得意な天狗の、雲をつかむような話あるいはお伽話と読んでも面白いです。
出典は鎌倉期の「是害坊絵」という絵巻。それを変型してあるそうです。
主人公は、仏法の敵である天狗としての悲しみや悩みをかかえています。ただの仏法讃美ではなく、主人公の内面を人間の煩悩と同様に扱う、その視点が魅力ですね。
「言ふ声ばかりが虚空に残る」の微妙に異なる繰り返し。座りがわるい気がしますが「謡」だとどうなのでしょう。

















2012-06-16

誓願寺


あらすじ
一遍上人が熊野参籠で霊夢を蒙り、六十万人決定往生の札を弘めようと誓願寺に至る。そこへ女が現れ、札の意味を尋ねて称名念仏を讃嘆し、寺額を「南無阿弥陀仏」の六字名号と掛け替えるように頼み、自分は和泉式部の霊と告げて石塔に消える。上人が額を掛けると奇瑞が現れ念仏を唱えると和泉式部(歌舞の菩薩)が登場し、極楽世界となった誓願寺を称えて、寺の謂れを語る。そして式部の霊が舞を舞うと、菩薩聖衆も六字名号の額を礼拝するのだった。

次第  ワキとワキツレ
教への道もひとこゑ(一つ・一声)の  教への道もひと声の
御法(ミノリ)を四方に弘めん


仏の教えはただ一つ、南無阿弥陀仏の一声だという念仏の法を世の中に弘めよう。
「当麻」の次第も、「教・法・道」と続ける。

(ひとこと)
550年も前に糺河原勧進猿楽で上演されたこの曲はきっと満場を熱狂させたと思います。やさしい仏教の教え、美しい菩薩の歓びの舞。舞台を観ること自体が極楽だったはず。
「教法道」の順番もきっと意味があるのでしょう。「六字」がテーマですから次第にも数字の「一と四」が出てきます。
おなじ和泉式部でも王朝の雅さに満ちた「東北(軒端梅)」は「法華経讃嘆」ですから彼女の人気のほどが伺えますね。


結末  シテと地謡
げにも妙えなる  称名の数かず  空に響くは  音楽の声
異香薫じて  花降る雪の  袖を返すや  返すがへすも
(タット)き上人の  利益かなと  菩薩聖衆は  面々に
御堂に打てる  六字の額を  みな一同に  礼し給ふは
あらたなりける  奇瑞かな


目の前に広がる極楽世界。袖を返すは「雪の袖」をふまえた舞の様子。

(ひとこと)
次第に「一声」という詞があり、結末にも「音楽の声」。
「羽衣」でも極楽について「虚空に花降り音楽聞こえ、霊香四方に薫ず」と描写されています。この曲では「霊香」でなく「異香」で、インドのお香を想像してよいのでしょう。
「あらたなりける奇瑞」とは、「霊験あらたかでめでたいこと」と解説されています。ハッピーエンドではありますが、礼拝するという行為を考えると、厳粛な気持ちが残ります。≪道行版≫の時はそうは感じなかったのですが。














2012-06-13

角田川


あらすじ  
隅田川の渡し守に、旅人が後から狂女が来ると告げ、その到着を待つ。女は人商人に浚われた我が子を尋ね都から下ってきたのだ。渡し守に狂いを求められた女は、都鳥を見て業平の東下りに重ねて乗船を願う。渡し守が対岸のざわめきを人商人に浚われた梅若丸の供養の大念仏だと物語ると、女は下船をせず、梅若が我が子であると確認して絶望する。塚の前で悲嘆にくれる母だが、人々に勧めらて念仏を唱えると子の声が聞こえて姿が現れる。しかし母が近づくと消え失せ、空しさの中に夜明けとなる。

次第  ワキツレ
末を東のたびごろも(旅・旅衣)  末も東の旅衣
日もはるばる(紐張・遥々・春)の心かな


行く末も遠い東への旅 行く末も遠い東国への旅なので
日数もかかるだろうと はるかな思いのすることだ /旅人

(ひとこと)
「旅衣―日も遥々」はよくある表現。曲が「伊勢物語」を踏まえていることを第三者である旅人が明かしています。
「から衣きつつなれしにつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」
都から下ってきたのは、旅人、母親、在原業平、そして人商人と梅若丸です。「末も東の」の末という字に、旅で果てた梅若の終末が重なります。

結末  地謡
互いに手に手を取り交はせば  また消え消えとなり行けば
いよいよ思ひはますかがみ(増・真澄鏡)
面影もまぼろしも  見えつ隠れつするほどに
しののめの空もほのぼのと  明け行けば跡絶えて
わが子と見えしは塚の上の  草茫々としてただ
しるしばかりのあさぢ(朝・浅茅)が原と
なるこそあはれなりけれ  なるこそあはれなりけれ


互いに手を取り交すようにしたところ その姿が消えてしまうで
いよいよ母の思いは増すばかり
生前の面影も幻も 見えたり隠れたりするうちに
明け方の空もほのぼのと白んで 夜が明けて行くと跡方もなく消え失せ
我が子と見えたのは塚の上の草 草が茫々と生い茂り ただ
墓じるしがあるだけの浅茅が原と
なっている それは哀れなことだった まことに哀れなことであった

(ひとこと)
結末の「塚」は、梅若丸の遺言によって築かれました。作者の元雅が子方を出す演出をしたのがわかる気がします。当時の子方は上手にちがいないし。
渡し守の語りに梅若の言葉として「しるしに柳を植えて賜れ・・」という詞があります。塚の上の草が春草であることは重要です。柳も草も芽吹いているというのに子どもはいない。
元雅の曲は、人物造型もドラマの展開もまさに近代劇ですね。















2012-06-10

俊寛


あらすじ
鬼界島の流人のうち成経と康頼が赦され、赦免使が都を出発する。鬼界島では二人が島に勧請した熊野三社に詣で、一方俊寛は絶望的な境涯を嘆き、二人を迎に出て、酒に見立てた谷水を汲み交す。そこへ赦免使が到着。赦免状には俊寛の名前がなく俊寛は悲嘆にくれる。船出の時が来ると、せめて薩摩の地までと哀願するが許されず、俊寛は一人残され寂しく舟影を見送る。

次第  成経と康頼
神をいはふ(斎・硫黄)が島なれば  神を硫黄が島なれば
願ひもみつ(満・三)の山ならん


平家物語に「島の中には・・硫黄といふ物みちみてり。かるがゆゑに硫黄が島とぞ申しける」。
三つの山とは熊野三社である新宮、本宮、那智のこと。

(ひとこと)
「硫黄が島」という地名で「俊寛」だとすぐにわかる次第です。
掛け言葉も面白く、しかも成経・康頼が赦されたのは俊寛とちがい信仰心があったからという陰のテーマまで暗示しているかようで、短くても次第は重要です。


結末  シテと地謡
・・
頼むぞよ頼もしくて
待てよ待てよと言ふ声も  姿も次第に遠ざかる沖つ波の
(カス)かなる声絶えて  舟影も人影も
消えて見えずなりにけり  跡消えて見えずなりにけり


帰洛を頼もしく待てとの声もやがて幽かになり、沖へ遠ざかるが、その声に幽かな頼みを持ち続けよう。「幽かなる」は上下に掛かる。

(ひとこと)
歌舞伎などでも有名なラストシーンです。この曲に「舞」のないことが余計に俊寛の絶望を際立たせているような気がします。
まだ波の向こうから聞こえていた声が細く小さくなり、人の姿も船も豆粒のように小さくなって最後は点となって消えてしまう・・。船上の人を見送る時はまさにこうです。
船が去って行く波の「跡」さえも消えて見えないと、作者は念を押しながら、これから救いようのない俊寛の孤独の世界が始まることを告げています。
















2012-06-08

志賀


あらすじ
桜をたずねて廷臣が従臣志賀の山に行き、薪に桜の枝を添えた老若の樵(キコリ)に出会う。花陰に休む理由を問えば、老樵は大伴黒主の歌を引いて、分不相応なふるまいも貫之が書き示した歌の道に叶う姿だという。そして自分が黒主、今は山神とも人は見るだろうと告げ志賀の宮へ帰る。その夜、奇特を見るために花陰に休む一行の前に志賀明神が現れて、花吹雪の中でめでたく神神楽を舞う。

次第  ワキトワキツレ
道ある御代の花見月  道ある御代の花見月
都の山ぞのどけき


道ある御代とは正道正しき御代のこと。クセの「敷島の道ある御代のもてあそび」に呼応して歌道隆盛の意味も持ちます。花見月は陰暦の三月。

(ひとこと)
この曲では世阿弥の求める幽玄の思想が老樵の姿に表現されています。
次第はおっとりと御代の讃美から始まりますが、全体を貫く「花」のイメージだけはしっかりと初めから。
「都の山」の都は京都のように読めますが、志賀の都の方でしょうか。

結末  シテと地謡
    ・・
小忌(オミ)の衣の色映えて  花はこずゑ(濃・梢)の白和幣(シラニギテ)
松は立ち枝(エ)の  青和幣
懸くるやかへる(翻・返)や梓弓  はる(張・春)の山辺を越え来れば
道もさりあへず散る花の  雲の羽袖を返しつつ
紅の御袴(ギョカ)の稜(ソバ)を取り  拍子を揃へて神神楽
げに面白き奏でかな  げに面白き奏でかな

花の梢の白、松の枝の青、そして紅の袴と三色が揃いました。
貫之の和歌「梓弓春の山辺を越えくれば道もさりあへず花ぞ散りける」が引用されています。
「道もさりあへず」は、道をよけることも出来ないほどに散りかかる花のこと。まさに花吹雪です。
「雲の羽袖」は、雲を衣に見立て神舞の袖をも現します。

(ひとこと)
古今集の仮名序の「黒主評」をもとにした曲ですから、結末も貫之がらみ。世阿弥らしく次第の「道」に対応して「道」の出てくる和歌でしめられます。
私が注目したのは、「拍子を揃へて神神楽」のリズムの良さと、花にも神にも通じる「面白き」という詞です。
「奏でかな」もモダンなイメージで、志賀明神はお年寄りとも思えません。















2012-06-05

桜川


あらすじ  
日向国の桜子は人商人に身を売り、代金と手紙を母に届けさせる。悲しみに心を乱した母が子を尋ねる旅に出て三年、桜子は常陸国の寺に弟子入りしていた。春の盛り、住職が桜子らを連れて花の名所「桜川」に出かけると、そこには物狂いとなった母がいた。母は川面に散る桜を網で掬い、子への想いを募らせる。やがて母子は対面し親子は連れ立って帰り、母も出家し仏の恵みを得た。


次第  ワキとワキツレ
頃待ち得たる桜狩り  頃待ち得たる桜狩り
山路の春に急がん


(ひとこと)
「西行桜」と全く同じ次第で、どちらも世阿弥作です。
川面に「散る桜」に行方知れずの我が子を重ね、それを網で掬うという美しいイメージに満ちた曲ですが、似たような桜の詞章が多すぎる気がします。
次第も、僧侶師弟一行の言葉としてはどうも・・。

キリ  地謡
かくて伴ひ立ち帰り  かくて伴ひ立ち帰り
母をも助け様変へて  仏果の縁となりにけり
二世(ニセ)安楽の縁深き  
親子の道のありがたき  親子の道ぞありがたき

様変へて・・出家すること
仏果の縁・・仏法を修行して悟りを得ることの機縁
二世・・現世と来世 親子の道は一世の縁であることに対置

(ひとこと)
狭義の意味での「キリ」は後日談ですが、最後がちょっと押しつけがましいですね。
哀れな母に対し、桜子は、手紙の中でも「おん様をも変へ給ふべし」と強く出家を望んでいます。
住職と「師弟の契約」をするのですから桜子(サクラゴ)は男子でしょう。貧しさ故に母の方が先に「花」を散らしていたのです。それを許せなかった男の子。












2012-06-02

西行桜


あらすじ
京都西山の西行の庵に、都の人々が花見に来るが、閑居を妨げられた思いを「花見んと群れつつ人の来るのみぞ、あたら桜の咎にはありける」と西行が詠む。すると、朽木の桜から「夢中の翁」と名乗って老木の桜の精が現れ、桜には咎がないはずと言い、都の桜の名所をあげて、静かな舞を舞う。そして春の夜の出会いの名残りを惜しみつつ、夜の白むとともに翁の姿を消え、西行の夢は覚める。

次第  ワキツレと立衆
頃待ち得たる桜狩り  頃待ち得たる桜狩り
山路の春に急がん


待ちかねていた桜狩りの時季がやっときた
急いで山路の花を尋ねよう

(ひとこと)
次第は謡曲「桜川」と同じです。詩歌語の「桜狩り」は桜を求めて歩きまわるという意味。野趣ある言葉が、郊外の花見にぴったり。
立衆は庶民的な下京の者。ワキの西行は隠棲の文化人で、桜についての見解もちがいます。


結末  シテと地謡
待てしばし待てしばし  夜はまだ深きぞ
白むは花の 影なり
(ヨソ)はまだをぐら(小暗・小倉)の  
山陰に残る夜桜の  花の枕の
夢は覚めにけり  夢は覚めにけり
嵐も雪も散り敷くや  花を踏んでは
同じく惜しむ少年の  春の夜は明けにけり
翁さびて跡もなし  翁さびて跡もなし


しばらく待て もうしばらく待て 夜はまだ深いぞ
白々としているのは花の色であった
花のない所はまだ暗いのだと 桜の精が言ううちに
小倉の山の陰の まだ夜の残る夜桜の 花のもとでの仮臥しの
夢は覚めてしまった 夢は覚めてしまった
夜嵐も吹きやみ 落花の雪が散って一面に敷き詰めたよう
その花を踏んでは 夢中での夜遊を惜しむのだが この春の夜は明けてしまった
老人はもの静かに消え跡かたもない
夢中の翁の姿はひっそりと消え 何の跡も残していない

(ひとこと)
とても感動的な詞章ですね。世阿弥が到達した「老木の花」がここに咲いています。
「待てしばし 夜はまだ深きぞ」と老人は、西行と自分に言い聞かせています。西行と翁が一体となる結末。
掛け言葉の「をぐら」の風情。桜の白との対比、夜明け前のしめやかな空気が伝わります。

夜明けが遅い山陰で、ぎりぎりまで桜(命、そして人生)との別れを惜しむ翁の姿は、老いゆく世阿弥の「美への執心」にも重なるよう。
「少年の」は「春」の序ですが、この曲すべてにある「対比」を意識して使われているだと思います。

最後が、失せにけりや消えにけりではなく、「跡もなし」で終わるところも非凡です。何も無くなったところから始まるのは永遠という時間・・。