2013-01-31

楊貴妃


あらすじ
玄宗皇帝に仕える方士(ほうし)は、皇帝の命を受け、楊貴妃の霊魂のありかを尋ね常世の国蓬莱宮へ赴く。所の者から貴妃の居所を聞いた方士は太真殿へ向い、皇帝の使いである旨を申し出ると貴妃が現れる。貴妃は皇帝の悲嘆にくれる様子を聞き、恋慕の情を示し形見のかんざしを渡し、方仕の尋ねる証拠の私語を教える。やがて貴妃は霓裳羽衣(げいしょううい)の曲を舞って昔を懐かしみ、懐旧と涙のうちに方士を見送る。

次第  ワキ
わがまだ知らぬ東雲の  わがまだ知らぬ東雲の
道をいづくと尋ねん

私のまだ知らない 行ったことのない 東方の雲のかなたの
道を 仙界はどこかと尋ね行くことにしよう

「いにしへもかくや人のまどひけん我がまだ知らぬしののめの道」(源氏物語・夕顔)に基づく
「東雲」を東の雲のかたなの意に転じ、渤海の東方の海中にある蓬莱山を暗示している

(ひとこと)
源氏物語と白楽天の「長恨歌」の繋がりは深く、謡曲「楊貴妃」にも源氏歌が数多く引かれます。
私などは「東雲」といえば、ストライキとしか思い浮びませんが・・。


結末  地謡
君にはこの世  逢ひ見んことも  よもぎがしまつ(よも・蓬島・しまつ鳥)鳥  
うきよ(浮・憂世)なれども
恋しや昔  はかなや別れの  とこよ(床・常世)の台(ウテナ)
伏し沈みてぞ  留(トド)まりける 


わが君にはこの世で お目にかかることも よもやあるまい
辛い世の定めではあるが 
恋しい昔よ はかない別れの 床よと 常世の国蓬莱宮の御殿で
涙に伏し沈んで 留まったのである

「蓬が島」は蓬莱の島  「島つ鳥」は鵜の異名で「う」にかかる枕詞

(ひとこと)
愛する人と死に別れた霊魂が、またもう一度別れのつらさを味合う痛ましさがあります。
使者の行く手を追いかけて行きたい思いがどれほどのものか、
同床の夢も去り、楊貴妃はただ一人です。

「世」という言葉は「男女の仲」をも意味すると、丸谷才一の本でつい最近知りました。
















湯谷


あらすじ
平宗盛は遠江池田の宿の長である熊野を召し出だして寵愛していた。そこへ侍女の朝顔が病気の老母からの手紙を携え熊野を迎えに来る。手紙を見せて熊野は宗盛に暇を乞うが、宗盛は許さず、清水まで花見の同道を命ずる。花見の宴で熊野は舞を舞うが、折からの村雨が花を散らすのを見て、母を案ずる和歌を詠む。すると宗盛は詠歌に感じて許しを出し、観音の利生と喜んだ熊野はその場から東へと帰って行くのだった。

次第  ツレ
夢の間惜しき春なれや  夢の間惜しき春なれや
咲く頃花を尋ねん

「春宵一刻値千金」といわれる春だから 春の夜のわずかな時間も惜しく思われるよ
花咲く頃には都の花を尋ねよう

(ひとこと)
夢というからには夜、花は都の桜に決まっています。
「湯谷」という曲全体が春らんまんの夢のような美しさに満ちています。熊野自身が満開の花。

結末  地謡
これまでなりや嬉しやな  これまでなりや嬉しやな
かくて都に御供せば  またもや御意の変はるべき
ただこのままに御暇(オイトマ)と  いふつけ(言・木綿附)鳥が鳴く
東路さして行く道の  やがて休らふ逢坂の
関の戸ざしも心して  あけ(開・明)行く跡の山見えて
花をも捨つる雁(カリガネ)の  それは越路われはまた
東に帰る名残かな  東に帰る名残かな

もはやこれまで うれしいこと
こうして都へ御供をして帰れば またお気持ちが変わるかもしれない
このまますぐにお暇を頂く と言って 鶏が鳴く
東の国をめざいて行く その道にやがて逢坂山 ここでしばし留まり
関守も心して早目に戸を開き 夜が明けると通り過ぎた後ろの山が見え
花を見捨てて帰る雁の姿 それは北の越路へ帰り 私はまた
花を見捨てて東国へと帰る それにしても都も名残惜しく思われることよ

(ひとこと)
「これまでなりや 嬉しやな」から伝わる熊野のよろこび。詞章の始まりからわくわくします。
仕えるご主人の我儘を分かっての行動は才色兼備の遊女のもの。そしてそんな権力者を彼女は愛しているのです。
東には母でなく男が待っているのだという解釈など弾き飛ばすように、都の花(宗盛)への未練が伝わってきます。















2013-01-26

遊行柳


あらすじ
諸国遊行の上人が一遍上人の教えを広めようと奥州へ向かう。白河の関を越えた所で老人に呼び止められ、老人は古道にある名木の柳に案内するが、上人の十念を受けると、古塚に身を寄せる様に消える。不思議に思い上人が念仏を唱てまどろんでいると、柳の精が白髪の老人の姿で現れ、草木まで成仏できる念仏の功徳を讃え、柳の故事を語り、報謝の舞を見せて消え失せる。

次第  ワキとワキツレ
帰るさ知らぬ旅衣  帰るさ知らぬ旅衣
(ノリ)に心や急ぐらん

帰ることも忘れてしまった遊行の旅ながら、仏法をひろめるためには心が急がれることだ。
衣と法は縁語。

(ひとこと)
芭蕉の「奥のほそ道」にも多大な影響を与えた遊行柳の曲。次第が「旅」で始まっているのも何か縁かもしれない。旅と衣は縁語。

結末  地謡
今年ばかりの  風や厭はんと
漂ふ足もとも  よろよろ弱々と
倒れ伏し柳  仮寝の床(トコ)
草の枕の  一夜の契りも  
他生の縁ある  上人の御法(ミノリ)
西吹く秋の  風うち払ひ
露も木の葉も  散りぢりに
露も木の葉も  散りぢりになり果てて
残る朽木と  なりにけり

現代語訳は省略します。
註によれば、別れの際には柳の枝をわがねて旅立つ人に贈るのが習わしで、後ジテの登場歌の漢詩に呼応とあります。「伏し柳」は歌語。
また、「今年ばかり・・」は、西行桜の「年経り増さる朽木桜 今年ばかりの花をだに」の変形。
「一夜の契りも 他生の縁ある」は、小督の「一樹の宿り 一河の流を汲むことも 皆これ他生の縁ぞかし」の変形。
「西吹く風の秋」は、当麻の「ただ一声の誘はんや 西吹く秋の風ならん」をふまえるそうです。
オリジナリティーに欠ける結末の詞章ですが、老いの寂しさまでがひしひしと伝わります。西行が詠んだ柳の情景と比べれば尚更です。もちろんそれが作者のねらいでしょうが。

「道の辺に清水流るる柳陰 暫しとてこそ立ち止まりけれ」
若々しい緑の柳の葉ずれの音まで聞こえてきそうな歌です。
















2013-01-21

山姥


あらすじ
都で評判の女曲舞の「百ま山姥」が、善光寺参詣のために、従者と共に北陸路にさしかかり、山中で日が暮れて当惑。そこへ女が現れ一夜の宿を申し出て一行を庵に案内する。女は、自分が真の山姥であると明かし、百まが曲舞で名を馳せながら本人を心に掛けないのは恨めしいと言い、再会を約して消える。夜更けになると山姥が出現し、百まを促して曲舞を一緒に舞う。そして山廻りの様子を見せるが、やがて姿は見えなくなった。

次第1  ワキとワキツレ
善き光ぞと影頼む  善き光ぞと影頼む
仏の御寺(ミテラ)尋ねん

有難い弥陀の光明による極楽へのお導きを頼りにして
仏の御寺の善光寺を尋ねることにしよう

(ひとこと)
善光寺の名を用い、仏に救いを求める女曲舞を善きものとして描いています。
芸能と宗教の関わりなども考えさせられる冒頭の詞章は従者のもの。
作者の世阿弥は芸能をただの娯楽と捉えてはいないようです。


次第2  地謡
よしあしびき(葭蘆・善悪・足引)の山姥が  よしあしびきの山姥が
山廻りするぞ苦しき

善悪の差別をこだわって 足をひきずりながら 山姥が 
悟りきれずに 足をひきずって 山姥が
六道を輪廻するかのように 山廻りをする その山廻りは苦しいことだ

(ひとこと)
この詞章は、都で百ま山姥が歌う曲舞と次第と同じです。
「よしあしびき」が多重の意味をもつ面白さ、山廻りに六道を重ねる奥の深さ。
「よし」という感動詞も勢いがありますね。


結末  地謡
廻りめぐりて  輪廻を離れぬ  妄執の雲の  ちり(散・塵)積もつて
山姥となれる  鬼女がありさま 
見るやみるやと  峰に翔り  谷に響きて
今までここに  あるよと見えしが  
山また山に  山廻り  山また山に  山廻りして
行方も知らず  なりにけり

山を廻ることを繰り返して 輪廻から離れられない妄執の身
その妄執の雲の 塵が積もって山姥となったのであるが この鬼女の姿を
あなたは見ておいでであるか と言って 峰に飛びかけり その音は谷に響いて
今までここに いたと思われたのだが
山また山に 山廻り 山からら山へと 山廻りして
どこへ行ったのか わからなくなってしまった

(ひとこと)
「塵も積もれば山となる」という諺を元にしていても、教訓的な意味合いはありません。
塵は万物の素のようなものでしょう。
自然描写にあるふれた曲は、結末に「山また山」を繰り返し、人智の及ばない世界を開くようです。
山姥は自分を鬼女と言っていますが、村人の暮らしを影となって助ける存在でもあります。
行方知れずになる山姥は、自然と同化したのですね。

北斎に、「山姥」の顔が表紙になった狂歌画本があります。
その名は「山満多山」。江戸の山の手の景観と風俗が描かれています。

















2013-01-10

八島


あらすじ
旅僧が従僧と共に讃岐の八島の浦に着き塩屋で待っていると、主の漁翁と漁夫が帰ってくる。僧は一夜の宿を乞い、漁翁は僧らが都の者だと知り懐かしさに涙する。僧の求めで漁翁は源平合戦の様子(義経の勇士ぶり、景清と三保谷の錣引、嗣信と菊王の最期など)を語る。僧の不審に漁翁は義経の霊だとほのめかして消える。所の者が合戦のことを語り、僧が眠りにつくと、甲冑姿の義経の霊が現れ「弓流し」の様子を再現、修羅道での責苦の戦い、また激戦の様子を語るが、春の夜明けとともに消え失せる。

次第  ワキとワキツレ
月も南の海原や  月も南の海原や
八島の浦を尋ねん

月も南の海原の上を行く 月も南の空を行く
われらも南海道の 八島の浦を尋ねよう

(ひとこと)
合戦の無常がテーマの曲でありながらも、冒頭から「月、南、海原」という壮大な風景が描かれて明るい開けた感じがします。
結末の「海、山、空」を舞台とする修羅の世界に呼応する次第です。

結末  地謡
水や空  空行くもまた雲の波の
うち(打・討)合い刺し違ふる  舟戦の駆け引き
浮き沈むとせしほどに  春の夜の波より明けて
敵と見えしはむれゐる(牟礼・群居)鷗  
鬨の声と聞こえしは 浦風なりけり高松の
浦風なりけり高松の  朝嵐とぞなりにける

水か空か区別ができず 空を行くのも波かと見える雲
内ち合ったり刺し違えたりする 舟戦の進退
波に浮きつ沈みつしているうちに 春の夜が波の上から明るくなり
敵と見えていたのは群がっている鷗
鬨の声と聞こえていたのは 実は浦吹く風であった
高い松を浦風であった高松の 朝の嵐となったのであった

牟礼・高松は地名
水や空の本歌は「水や空空や水とも見え分かず通ひて澄める秋の夜の月」

(ひとこと)
舞台では義経の亡霊が激しい戦いの所作をします。
夢幻能ですから、僧の夢が覚めれば夜明けとともに義経の亡霊は消えるのですが、そこが曖昧にぼかされています。まさに「春の夜の夢」。
「波より明けて」は、ひたひたと寄せる白い波頭が少しづつ輝きだす美しさ。白い鷗が敵になぞられていますが、平氏は「赤」ですから少しヘンですね。