2011-11-28

切株



もうすぐ12月、クリスマスの飾り付けが住宅地でも始まっています。近所の宝来公園にまで「ブッシュ・ド・ノエル」がありました。粉砂糖のかかった切株のケーキが・・。

台風被害で、倒木の危険があると判断され、根元からバッサリ伐られたのです。広場の中央にあった元の大木は・・・えーと、木肌から推測すると、松かしら? 

十年以上も公園を散歩しているのに、どんな松だったか、大きさも枝ぶりも思い出せません。
通りかかった「犬トモダチ」も、「私も覚えていないわ。桜だったら伐らせなかった」との返事。

ああ、みんなどうして桜ばかりをヒイキにするのだろう。私もこの木には不人情だったけど。

切株になり、はじめて存在をあきらかにした不遇の松です。きっと、心やさしい誰かさんが「枯れ枝」を供えたのですね。白い雪をかぶった枝を。






2011-11-25

わらの木


わら人形? それとも畑に出現した芸術作品?
いやいや、川中島で果樹園経営をめざすOさんが、初めて挑戦した「桃の木の冬支度」です。ブログのお写真を借りてきました。

わらの下には新聞紙が巻かれています。まるで「冬将軍」を迎え撃つ野武士みたい。ユーモラスな姿に心が温まります。

小学生時代、健康に良いからとわざわざ「わらのベッド」に寝かされていました。保温効果もあったのかもしれません。

「わら」で思い出したのが、映画の「わらの犬」です。今年リメイクされたようですね。
争いを好まない平和主義者が田舎に住むが、周囲の卑劣な仕打ちに耐えかね、人間に内在する暴力性を爆発させてしまうという、ダスティン・ホフマン主演の問題作
タイトルのSTRAW DOGSは、老子の言葉から。
天地は仁(いつく)しみならず 万物を以って蒭狗(すうく)と為す
聖人も仁(いつく)しみならず 百姓を以って蒭狗(すうく)と為す


世の中は無情で、すべてを「わらの犬」とみなし、賢者は非情で、人民を「わらの犬」として扱う。
寒々と、温もりの全く感じられない「わら」もあります。






2011-11-20

庭のモミジ



昨日は久しぶりの新宿で「謡曲の友」と飲んで語らい、楽しいひとときを過ごしました。

気分よく目覚めたきょう日曜日、少し歩けば汗ばむような陽気のなかで、この1ヶ月ゆっくり眺める余裕もなかった庭の木に目が行きました。

前庭には3本のモミジがありますが、例年なら深紅に染まる入口近くの「モミジ」は、まだまだ青く(というか青黒く)かわいそうでカメラを向ける気になれません。
温暖化で気温が高いと、紅葉しないまま落ちてしまうとか。

秋から冬へ、落葉の季節となりましたが、都会では雨樋や排水溝を詰まらす落葉はゴミ扱い。
焚火は厳禁だし、放射能の影響が懸念される今年は、ますます嫌われものになることでしょう。

木にも葉にも罪はないのに、人間ってつくづく勝手だと思います。







2011-11-18

磯馴松


「神坂雪佳」の木版画、タイトルは「磯馴松」です。海風のために幹や枝が地面を這うように生えるのが磯馴松(そなれまつ)でしょうに、この松は曲がりが少ない。

須磨の浦 渚にたてるそなれ松 しづえは波のうたぬ日ぞなき   続後拾遺集

やはり、下枝が常に波に洗われているような松でなくっちゃ。
中央公論の「谷崎源氏」の「さし絵」はどうだったかと、「須磨」のページをめくってみました。



なあんだ。文化勲章の「福田平八郎」の松の方がもっとまっすぐ。二人とも京住まいで磯馴松とは縁がなかったのでしょうか。

「風情に富んだ夕ぐれに、海が見渡される廊にお立ち出でなされて、たたずんでいらっしゃるお姿の、物凄いような美しさは・・・この世のものともお見えになりません・・・沖の方を多くの舟が謡い騒ぎながら漕いで行くのなども聞こえます・・」

光源氏も谷崎も、日本画家もみんなおっとり、雅な松の景色です。





2011-11-17

冬のコスモス


イタリア在住のAさんより11月1日に届いた写真です。庭に咲いた遅咲きのコスモスとありました。

11月1日は、カトリックでは「万聖節」というすべての聖人の祝日で、2日が「死者の日」。国中の人が故郷に帰って「お墓参り」をするので高速道路は大渋滞です。

30年前、イタリア人の友人家族にさそわれ、私も町はずれの墓地を訪れたことがあります。
日本と同じように「菊の花」を供えることに親近感をおぼえましたが、驚いたのは、階級社会らしく富裕層と庶民の墓のちがいです。

名家のは墓所というべきか、人が暮らせる広さで、門からして豪華で何部屋もあり、ロミオとジュリエットの映画にでてくるみたい。
一方、貧民の墓は、柩を縦に積み重ねただけのアパート形式。友人は「6階」の母親の柩に梯子をかけて、お燈明と花をあげていました。

コスモスは「秋桜」ともよばれ、風になびく優しいイメージがありますね。でも、Aさんのコスモスは、初冬の陽光にまっすぐに顔を向けています。

生老病死、年を重ねるごとに周りの人の病死に付き合うことも多くなりました。冬の日差しがつくづく有難いこのごろ。



イタリアの墓地は必ず糸杉に囲まれています






2011-11-08

三枝子



一番  山の淋しい湖に ひとり来たのも 悲しい心
胸の痛みに耐えかねて・・        

二番  水に黄昏 迫る頃 岸の林を 静かに行けば・・

三枝子さん、さようなら。
37で発病し長い闘病生活の果ての63歳の死は、十月の末日、早朝にやってきました。

ただただお疲れ様というしかありません。でも本人は悔しかったことでしょう。火葬後の白くて若若しい骨が、「病気にさえならなければ」という無念さを伝えていました。

私にはずっと優しい兄嫁でした。わがままな両親と同居をしてくれ、私の夫や息子家族のことも大事にしてくれて、とても感謝をしています。

三枝子という名は、父親があの美人女優を好きだったから付けたのよ・・・
お父さんの期待通り、育った地方の町では美人で有名。鼻梁たかく眼元の涼しい人でした。

でも血液透析が続くと肌が変わり、「もう化粧はやめたの」と、かえって清々しい笑顔を見せて。
「棺」には、兄が持たせた寄木細工の「手鏡」がありました。

お棺に「ドングリ」を沢山入れたのは私の夫です。
まだ三枝子さんが外出できた頃、我が家を訪れるとバッグからいくつもドングリを取り出し、「なつかしいわ、駅から歩いて来たら、裏の公園にこんなに落ちていた」と見せたのだそうです。

三枝子さんは鮮やかな紅葉が好きだったかもしれない。でも、「榛名湖畔」の木々のまっすぐさに私はあなたを偲びたいと思います。
長い間、本当にありがとう。