2012-08-24

天鼓


あらすじ
天から降ってきた鼓を見事に打ち鳴らす少年は天鼓と名付けられる。帝はその鼓を召し上げようとするが、少年は鼓を抱いて山中に逃げ、見つけ出され呂水に沈められ処刑されてしまう。だが帝のもとでは誰が打っても鼓は音が出ない。帝は少年の父に鼓を打たせようと勅使を遣わす。父は悲しみながらも鼓を打つと音が鳴る。その音を聴き帝は感涙し、管弦講で天鼓の霊を弔うと約束して父を家に帰す。呂水の堤で弔いを始めると天鼓の霊が現れ、供養に感謝し舞楽を奏し、やがて夜明けとともに消えて行く。

次第  地謡
生きてある身はひさかた(久・久方)の  生きてある身は久方の
天の鼓を打たうよ

老人となるまで久しく生きているこの身だもの どうなってもかまうものか
さあ天の鼓を打とう
「久方」は「天」の枕詞。

(ひとこと)
帝に召されて、もし鼓が鳴らなければ自分も処刑されるだろう。その覚悟の上で、それでも息子の形見と一緒なら構わないという思い。
子に先立たれた親は、自分が「生きてある身」であることが許せないのです。

結末  地謡
夜遊(ヤユウ)の舞楽も時去りて  五更の一点鐘(イッテンカネ)も鳴り
鶏は八声(ヤコエ)のほのぼのと  夜も明け白む時の鼓
数は六つの巷(チマタ)の声に  また打ち寄りてうつつ(打・現)か夢か
また打ち寄りて現か夢  幻とこそなりにけり

楽鼓に時刻を知らせる鼓を重ね、その六つ(夜明けの時刻)に「六つの巷=六道」と、夜明けとともに始まる世間の営みの声を言い掛けている。
五・一・八・六と数韻を踏む。

(ひとこと)
少年天鼓は処刑されたことを恨むわけでなく、帝に逆らった罰から解放された歓びに満ちて鼓を打ちます。親子の情さえも超えているようです。
人間ドラマとしてこの曲を捉えては、結末の晴々しさは伝わらないでしょう。
最後の最後が「幻」であったと結ばれていても、音楽を愛する少年の心は生き生きとして、とても幻とは思えません。