2012-04-10

葵上



あらすじ
光源氏の北の方(正妻)である葵上が物の怪に執り付かれ病に臥せっている。 朱雀院に仕える廷臣が、 梓弓によって亡霊を呼び寄せる照日の巫女に命じ、物の怪の正体を占わせた。 すると六条の御息所の生霊が破れ車にのって現れ、 葵上の枕元で責めさいなみ、幽界へ連れ去ろうとする。 急ぎ、横川の小聖が呼ばれ祈祷を始めると、 鬼女の姿になった御息所が現れ激しく争う。御息所はついに法力に祈り伏せられ、 我が姿を恥じ、最後は心を和らげ成仏する。

次第  シテ
憂き世はうし(憂・牛)の小車(オグルマ)の  
憂き世は牛の小車の
廻るや報ひなるらん
   
憂き世はつらい
牛の車が回るように次々と憂き世は廻ってくるが
これは前世で行ったことの報いなのだろうか
(一言)

次第は、葵祭りでの六条の御息所と葵上との車争いを踏まえています。
因果応報の憂き目にあう御息所の悲しい歎き。
憂しと牛。日本語の同音意義を存分に使って謡曲の詞章は作られます。
火宅の三つの車の一つが牛車。

キリ  地謡
読誦の声を聞くときは  読誦の声を聞くときは
悪鬼心を和らげ  忍辱(ニンニク)慈悲の姿にて 
菩薩もここに来迎す  成仏得脱の 
身となり行くぞありがたき  身となり行くぞありがたき
   
祈りの声が聞こえてきたので 御息所の怨霊も心を和ませ
菩薩も忍辱の心をもった慈悲深い姿で現れ
怨念を断ち悟りを開いて成仏の身となっていったのは
まことにありがたいことである
(一言)
キリ(地謡)の前には、横川(ヨカワ)の小聖と御息所の壮絶なるバトルです。
御息所は打杖を振り上げ、小聖は数珠を押し揉んで法力を見せつける。密教の本尊である大日如来は憤怒の表情をしています。

「やらやら恐ろしの、般若声や」と両耳をふさぐシテ。
「これまでぞ怨霊、この後(ノチ)またも来るまじ」。地謡の台詞ですがシテが言ってもおもしろい。
そして最後に来るのが慈悲の菩薩で、ちゃんと順番があるのです。

源氏物語の御息所は哀れです。自分が無意識のうちに源氏の愛人を殺したのではないかと常に慄いている。決して悪女ではありません。

キリは「通盛」のキリと同文です。