2012-11-23

仏原


あらすじ
都の僧が白山禅定を志し、加賀国仏原に到り草堂に泊まろうとする。そこへ女が現れ、白拍子の仏御前のために読経を乞い、夜中読経の声が澄み渡る。やがて女は僧の問いに、寵を失い髪を下ろした妓王を嵯峨野に尋ねたことを物語り、重ねての尋ねに、草堂の主は仏と言いさして消える。僧の回向に、明け方に現れた仏御前の霊は舞を舞い、「一歩挙げざる前(サキ)をこそ、仏の舞とは言べけれ」と悟堂を示して消え失せた。

次第  ワキとワキツレ
よそは梢の秋深き  よそは梢の秋深き
雪の白山(シラヤマ)尋ねん

秋深き長月、よそでは木々の梢が紅葉しているのに白山では雪が深く積もっている
その雪の白山を尋ねよう

(ひとこと)
秋深き、深き雪、雪の白きと続き、紅と白の視覚的イメージも豊かと、脚註にあります。
梢の秋から紅葉を想像するのは、続く詞章に「神のははそのもみぢ葉の」とあるからでしょう。
冒頭が「よそは」というのがめずらしく、雪で神々しさを増した白山が周辺から際立つ様子もわかります。

結末  シテと地謡
あらし(あらじ・嵐)吹く雲水の  嵐吹く雲水の
天に浮かめる波の  
一滴の露の始めをば  なにかと返す舞の袖
一歩挙げざる前をこそ  仏の舞とは言ふべけれど
謡ひ捨てて失せにけりや  謡ひ捨てて失せにけり

大海の水も一滴の露から起こる。
その露の始め以前は無、それこそが仏の舞なのである。
人仏不二、無の段階では人も仏も区別はないという主題を提示して終わる。

(ひとこと)
難しい仏教哲学を示されて結末となります。
しかも「謡ひ捨てて」という詞章は非常に稀で、客観性を強く感じます。
平家物語の仏御前の優しさからでは出てこない迫力、しかも静か。どこか漢詩の雰囲気もあり、とにかく不思議な曲です。



















2012-11-21

舟弁慶


あらすじ
源義経は随行の郎党と共に、頼朝との不和により都落ちし、尼崎・大物の浦に着く。弁慶は船頭に宿泊と舟の用意を依頼し、義経に同行の静御前を都へ帰すよう進言する。静は涙ながらに舞を舞って別れる。やがて西国への船出となり、天候が急変して、弁慶は船頭に将来の海上支配権を予約するものの海は荒れ、海上に滅亡した平家一門の霊が現れ、平知盛の怨霊が義経に襲いかかる。しかし義経が応戦し、弁慶が祈祷すると、怨霊はしだいに遠ざかって行く。

次第  ワキとワキツレ
けふ(京・今日)思ひたつ(立・裁)旅衣  今日思ひ立つ旅衣
きらく(着・帰洛)をいつと定めん

今日思ひ立って京の都から旅に出る 今日思い立って旅に出るのであるが
再び都へ帰る日をいつと定めることができようぞ

(ひとこと)
謡曲を読む楽しみの一つは、同音異義の掛詞や縁語です。
たつ―衣―着ると続きますが、耳で聞いてどれだけわかるものでしょうか。
「都落ち」とは口にしない武家のならい。先の見えない逃避行の哀れさが伝わる詞章です。

結末  地謡
その時義経すこしも騒がず  その時義経すこしも騒がず
打ち物抜き持ち  うつつ(打・現)の人に  向かふがごとく  言葉を交はし
戦ひ給へば  弁慶押し隔て  打ち物業(ワザ)にて  叶ふまじと
数珠さらさらと  押し揉んで  東方隆三世  南方軍だ利夜叉
西方大威徳  北方金剛  夜叉明王  中央大聖
不動明王の索にかけて  祈り祈られ  悪霊次第に  遠ざかれば
弁慶舟子に力を合わせ  お舟を漕ぎ退け  
汀に寄すれば  なほ怨霊は  慕ひ来たるを  追つ払い祈り退け
また引く潮に  揺られ流れ  また引く潮に  揺られ流れて
跡しらなみ(知らず・白波)とぞ  なりにける

その時義経は少しも騒がないで 刀を抜いて持ち 生きた人に立ち向かうように
言葉を交わして 戦いなさったので 
弁慶は二人を押し隔て 力で戦うのではうまくいかないと
数珠をさらさらと押し揉んで  (略)  
と不動明王の索の縄に頼みをかけて祈ると このように祈られたため 
悪霊は次第に遠ざかって行くので
弁慶は舟子に力を合わせて お舟を漕いで その場から離れ
岸辺に寄せたところ なおも怨霊は 追いすがってくる それを追い払い祈り退けたので
怨霊は折からの引く潮に揺られ流れ また引く潮に揺られ流れて行って
跡知らず 行方がわからなくなり  海面には白波だけになったのであった

(ひとこと)
「その時義経すこしも騒がす」は、能を離れてもよく使われていた言葉です。
日本人は豪快な弁慶とはちがう、義経の静かな勇気や品格も大好きだったのですね。
平知盛の亡霊が舟を追って来るのを「慕い来たる」と表現するのも何やら雅。
ただ彼等三者だけでは、この場面は成り立ちません。
たくましい舟子達の躍動的な動きを想像することで、迫力満点の結末となるのです。


















2012-11-17

藤戸



あらすじ
佐々木信綱が藤戸の先陣の功により備前の児島に領地入りをすると、わが子を盛綱に殺された母が来て恨みを訴える。はじめは取り合わぬ盛綱だが、浅瀬を教えて貰った男への疑惑から殺害したと告白。母は嘆き悲しみ自分も殺してくれと迫るが、盛綱は弔いを約束し母を帰す。管弦講が始まると猟師の亡霊が現れ、不当な死を詠嘆し盛綱を責め、往事の様子を語る。最後は供養により男は成仏する。

次第  ワキとワキツレ
春の湊の行く末や  春の湊の行く末や
藤戸の渡りなるらん

過ぎて行く春のたどり着く所 過ぎ行く春の終わりに

咲くのは藤の花 私の行く先も藤戸の渡し場なのだろうか

(ひとこと)
「春の湊」の穏やかさではすまない、「行く末」という詞に不穏な雰囲気が感じられます。
藤戸に「藤の花」が含まれているとは気が付きませんでした。

結末  地謡

折節引く潮に  折節引く潮に
引かれて行く波の  浮きぬ沈みぬ埋れ木の
岩の狭間に流れかかつて  藤戸の水底の
悪霊の水神となつて  恨みをなさんと思ひしに
思はざるにおん弔ひの  御法の御舟にのり(乗・法)を得て
すなはち弘誓(グゼイ)の舟に浮かめば  
水馴れ棹  差し引きて行くほどに
生死(ショウジ)の海を渡りて  願ひのままに易々と
彼の岸に到り到りて  成仏得脱の身となりぬ
成仏の身とぞなりにける

現代語訳は省略


(ひとこと)
すぐ前にゾクっとするような詞章(下)があり、結末はそれを静に収めるような格好です。

  われを連れて行く水の 氷のごとくなる
  刀を抜いて胸のあたりを 刺し通し刺し通さるれば
  肝魂も 消え消えになるところを
  そのまま海に沈みしに 
  
「引く潮」は「行く水」と対。
「浮きぬ沈みぬ」や「到り到りて」の表現は波がチャプチャプあるいはひたひた寄せる感じ。亡霊のいる場や動きが目に浮かびます。
非常に悲惨な話ですが、最後の成仏では馴染みの詞章が用いられ心が和みます。お手軽な気がしないでもないですが。













2012-11-07

富士太鼓


あらすじ
萩原院の臣下が、住吉から管弦の役を望んで上洛した楽人「富士」の横死について語り、妻が訪ねて来たら知らせるよう従者に命じる。妻は夢見の胸騒ぎから都に上がったのだが、夫が勅命で召されていた「浅間」に殺されたと聞き涙にくれる。形見の鳥兜と衣装を渡されると、妻は夫を留めるべきであったと歎き、形見をつけて狂乱の態で太鼓を夫の敵と思い定め娘と共に打つ。やがて富士の霊が妻に乗り移って太鼓を打ち楽を舞う。霊が身を離れると、妻は名手の夫を偲んで涙するが、太鼓を打ち続ければ修羅の心は去り、太鼓を形見と見置きて帰郷した。

次第  シテと子方
雲の上なほ遥かなる  雲の上なほ遥かなる
富士の行方を尋ねん

雲の上よりも高い富士の峰 はるばる雲居(内裏)に上った
わが夫富士の行方を尋ねよう

(ひとこと)
後述によれば妻には勅命もないのに勝手に参上した夫の身が案じられて後を追ったのです。
雲より高い富士という名を持つにしても雲居の高さに叶うわけがない。
この作品の本歌は富士と浅間山の煙比べで、そこでも富士は活火山の浅間に負けています。

結末  地謡
これまでなりや人びとよ  これまでなりや人びとよ
(イトマ)申してさらばと  怜人の姿とりかぶと(取・鳥兜)
みな脱ぎ捨ててわが心  乱れ笠乱れ髪  かかる(掛・斯)思ひは忘れじと
また立ち帰り太鼓こそ  憂き人の形見なりけれと
見置きてぞ帰りける  跡見置きてぞ帰りける

もはやこれまで皆様 これで失礼します
お暇いたしますと言って 楽人の装束や鳥兜を
みな脱ぎ捨てて 笠をいい加減にかぶり髪を乱し
私の心が乱れた原因はこの太鼓 このような思いは決して忘れることはあるまいと
また立ち戻ってきて この太鼓こそは夫の形見であったのだと
じっと見た後に帰って行った よくよく見つめてから帰って行ったのだ

(ひとこと)
狂乱の敵打ちが終わり、夫への恨みも夫を誇りに思う心も妻はすべて脱ぎ捨てて、ここで初めて夫の死を受け入れたのです。結末はまた悲しみの中の門出です。
宮中の人々への別れの挨拶は、観衆、読者への挨拶でもあり、舞台から下りるように妻は去って行きます。
それでも「跡見置きてぞ帰りける」には、断ちきれぬ妻の未練が感じられ、本人が去っても心はまだ舞台の上に残っているような・・。



















2012-11-02

百万


あらすじ
吉野の男が奈良の西大寺あたりで拾った子を連れて、嵯峨清涼寺の大念仏にやって来る。そこへ百万と名乗る女物狂が現れ、念仏を唱え踊りながら、生き別れた我が子との再会を本尊に祈念する。子は母と気付くが母は知らぬままに舞を奉げて祈り、群集の中に我が子の姿を捜し求めるのだった。やがて男が子を母に逢わせて喜びの対面となり、母子は仏力に感謝し奈良の都へと帰って行く。

次第1 ワキ
竹馬(チクバ)にいざやのり(乗・法)  竹馬にいざや法の道
真の友も尋ねん

少年が竹馬に乗るように 喜び勇んで仏道に入り
仏門の真の友を尋ねることにしよう

(ひとこと)
「竹馬の友」という言葉があるが、それとは関係ないようです。「竹馬」は7歳という年を表すとも。
子どもに関わる曲であることを冒頭で示し、「法の道」で仏力が讃美されます。吉野の男はずいぶん信心深い。

次第2  シテ
わが子に  あうむ(逢・鸚鵡)の袖なれや
親子鸚鵡の袖なれや  百万が舞を見給へ

わが子に逢うことを念じてか 鸚鵡模様の衣の袖
親子が再び逢うことを念じてか 鸚鵡模様の袖をひるがえす
この百万の舞をごらんください

(ひとこと)
次第の2句目は初句の繰り返しが多いそうですが、これは全くちがいます。
切ない母の心情がこめられた袖の模様。その袖も重なり合ってほしいという母の願望。
クライマックスに導く力強い詞章です。

キリ  地謡
よくよく物を案ずるに  よくよく物を案ずるに
かの御本尊はもとより  衆生のための父なれば
母もろともに廻り逢ふ  法の力ぞ有難き
願ひもみつの(満・三)の車路を
都に帰る嬉しさよ  都に帰る嬉しさよ

よくよく考えてみると あらためてよくよく思えば
かの御本尊釈迦如来はもとより 衆生のための父なのだから
その御前で母も一緒に(子と)めぐり逢うという、仏の力は誠に有難い
願いも満ちて 車の通う道を
都に帰るとはうれしいこと 連れ立って(奈良)の都へ帰るのはうれしいことだ

(ひとこと)
観阿弥原作、世阿弥改作のこの曲は、清涼寺の縁起がもとになっているのですからハッピーエンドは当然です。
アイの解説に、「嵯峨の大念仏は人の集まりにて候ふ間」とあるようにドラマの背景には「雑踏」があり、キリの「車路」でも賑わいが想像できます。
この、仏に縋ろうと集まる「衆生」の存在が、百万の悲しみに厚みを与えているように思えます。
次第1の「法の道」が、結局は、古里へ通じる「車路」に変りました。

















2012-10-22

檜垣


あらすじ
肥後国岩戸山に住む僧が、毎日閼伽の水を汲みにくる老女を不審に思ってえ今日も待つ。老衰を嘆きつつやって来た老女は、檜垣の媼の「みつはくむ」の歌の由来を語り、弔いを乞い姿を消す。所の者に勧められ、僧が白河のほとりの庵を尋ねると、媼の霊が現れ、弔いを感謝し無常の世を嘆く。女の霊は、地獄での苦しみと今なお釣瓶に因果の水を汲む有様を見せ、懺悔の舞を舞って成仏を願う。

次第1  シテ
影しらかわ(白・白川)の水汲めば  影白川の水汲めば
月も袂や濡らすらん

月影の白く映る 白川の水を汲むと 月の光の白く照るもとで
(水ばかりでなく)月も わたくしの袂を濡らすことである

(ひとこと)
後撰集の檜垣媼の歌「年経ればわが黒髪も白河のみつはぐむまで老いにけるかも」が曲の本歌。「水汲めば(水は汲む)」には瑞(ミズ)歯ぐむ(老衰して歯が抜けた後に再び瑞々しい歯が生えること)」が掛けられていることが後の詞章でわかります。
月の影は黒ではなく白。しかし影や白川の水より、老女の涙の方がずっと袂を濡らしています。

次第2  地謡
つるべの水に影落ちて  
袂を月や上(のぼ)るらん

釣瓶の水に 月が影を落とし (かけ縄で汲み上げると)
袂のあたりを月が上るからのようだ

(ひとこと)
二つの登場歌は、単語は同じながら、月が動きます。いよいよクライマックス。
釣瓶は業火に燃え、かけ縄を繰り返し繰り上げても水は尽きないという責苦。月影がしらじらとその様子を浮び上がらせています。

結末  地謡
(これまで現はれ出でたるなり)
運ぶあしたづ(足・蘆鶴)の  ね(音・根)こそ絶ゆれ浮き草の
水は運びて参らする
罪を浮かめてたび給へ  罪を浮かめてたび給へ

足を運び よるべない浮草のような 身ながら
水は運んでさしあげますから 
わたしの罪を 浮べて下さいませ 罪に沈むわたしくしを お救い下さいませ 

(ひとこと)
檜垣媼は「百歳の姥 小野小町」に重ねられています。小町の歌「わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ」がもと。
次第と結末に共通するのが閼伽の水。その水を運んであげるから救ってほしいとまるで観世音に話かけるような感じ。
「あしたづ」は「音」にかかる枕詞で、声を上げて泣くという意味を含みます。しかし、老女の歩み(あるいは本人)も鶴のようではないですか。
水と浮く、蘆と浮き草もつながりがあり、いくつにも意味を読み取りたいですね。















2012-10-15

班女



あらすじ
美濃国野上の遊女花子は、東国下向の吉田の少将と扇を交換して別れた後、扇ばかりを眺めているので、漢の「班婕妤」に例えられ「班女」と呼ばれた。閨に籠り勤めをしない花子は追放され、一方、吉田の少将は都への帰途で野上に立ち寄り、花子の不在を知るやいなや上京し糺(タダス)の森に参詣する。そこへ物狂いとなった花子が現れ、少将との再会を神に祈り、都の男の所望に扇によせて恋心を語り舞う。少将は班女を呼びよせて扇を取り交し、二人は元の契りを結ぶ。

次第  少将とトモ
帰るぞ名残富士の嶺(ネ)の  帰るぞ名残富士の嶺の
ゆき(雪・行)て都に語らん

帰るのだ 富士の嶺に名残を惜しんで 帰るのだ 名残の尽きない富士の嶺の
雪をあとに 都へ行って 富士の雪のことを語ろう

(ひとこと)
詞章の「雪」は結末にも出てきます。「班婕妤」が寵を失った自分を「月の様に円い雪のように白い団雪の扇」に例えたことが元になっています。。中国の扇はウチワのようだったのですね。
都へ「帰るぞ」との強調や、富士の雪を土産話にしようという謡い手の意思が感じられるめずらしい次第です。

結末  地謡
(輿の内より)
取り出だせば  折節黄昏に  
ほのぼの見れば夕顔の  花を描きたる扇なり
この上はこれみつ(これ見・惟光)に  紙燭(シソク)召して
ありつる扇  ご覧ぜよ互いに
それぞと知られしらゆき(知らる・白雪)
扇のつま(端・夫・妻)の形見こそ
妹背の中の情けなり 妹背の中の情けなり

扇を取り出したので (従者は花子に扇を渡す)
折りしも夕暮れの薄明かりにぼんやりした中で見ると 花を描いた扇である
(花子は少将に自分の扇を渡す)
この上はお付きに灯をお命じになる
こちらの扇を ご覧下さいませ と言って互いに扇を見て
それぞれあの人と分かり合えたのである
愛する人の形見としての扇こそ 夫婦の中の愛情を示すものなのである

(ひとこと)
省かれた文章が多いのは、引用されている「源氏物語」の原文を読むようです。
少将が持つ花子の扇は夕顔の絵。「惟光に紙燭召して~ご覧ずれば」は、源氏の「夕顔」の詞章と同じ。夕暮の情景が目に浮かんできます。しかし少将の扇はどんなものだったのでしょう。
二人の再会が「誰そ彼」の時間帯に行われた意味を思います。
遊女と貴公子の恋が真実ハッピーエンドとなるのか。「扇のつま・妻・夫」と掛け詞になっていますけど・・。


















2012-10-09

花筐


あらすじ
大迹皇子が皇位即位のために上洛した旨を、使者が照日の前へ告げて文と花筐を渡す。照日は悲嘆の中、文と花筐を抱いて里へ帰る。皇子は継体天皇となり、紅葉の御幸に出かけるが、そこへ物狂いとなり都へ上ってきた照日が出くわし、官人が侍女が持った花筐を打ち落とす。照日は官人を非難して思慕を示し、物狂いを勧められると李夫人の曲舞を語り舞い、漢王の思慕を我が身に喩える。継体天皇は花筐を自分が与えた物だと認め、再び照日を召すことにして還幸する。

次第  ワキとワキツレ
君の恵みもたかてら(高・高照)す  君の恵みも高照らす
紅葉の御幸早めん

(照り映える紅葉と同様に) 大君の恵も高く照り輝き あまねく照らしている時
君は照り映る紅葉をご覧にお出かけ その道を急ぐことにしよう

(ひとこと)
シテは「照日」と言う名であるのに、紅葉のように輝くのは女を捨てた天皇の方です。
「高照らす」は枕詞でしょうか。「高」所から民を照らしている感じ。
山の高い所にまで紅葉が進んでいる光景も目に浮かんできます。

結末  地謡
御遊(ギョユウ)もすでに  時過ぎて  御遊もすでに  時過ぎて
今は還幸  なし奉らんと  供奉(グブ)の人びと  おん車遣り続け
もみぢ葉散り飛ぶ  御先(ミサキ)を払ひ
払ふや袂も  山風に
誘はれ行くや  玉穂の都  誘はれ行くや  玉穂の都に
つき(着・尽)せぬ契りぞ  有難き

ご遊覧もすでに 時移り 紅葉の御幸もすでに刻限となって
今は還幸をおさせ申し上げゆと 御供の人々が お車を進め続けて行けば
紅葉の葉が散り飛ぶ 行列の先を払い
払い清めると照日の前の袂も 山風に
なびき 連れられて行くのは 玉穂の都 玉穂の都で
尽きせぬ契りを結んだのは まことに有難いことである

(ひとこと)
渡辺保氏は、この場面の「もみぢ葉」を、宮廷で殺されたであろう照日の「血痕」に擬えています。それを読んでからというもの、私は「葉」の形、そして「散り飛ぶ」から血痕以外を想像することができません。
結末の詞章が、物語の先を暗示している面白さです。
照日の袂を山風が翻すのは、もう冬がそこまで来ているから。紅葉(照日)の終わりですね。
















2012-10-06

芭蕉



あらすじ
楚国小水(ショウスイ)の山中で修行する僧が、毎夜読経の折に庵室あたりに人の気配がするので、今夜は名を尋ねようと読経を始めると、女が現れる。女は仏法結縁のために庵に入ることを望み、女人成仏、草木成仏の功徳を語り、芭蕉の精であるとほのめかして消える。僧は所の者より芭蕉の故事を聞き法事を始めると、芭蕉の精が現れ、女体に化身している謂れを話す。芭蕉の精は草木成仏を説き、諸法実相を詠嘆して舞を舞い、やがて風前の芭蕉の姿を示して夢と消える。

次第  シテ
芭蕉に落ちて松の声  芭蕉に落ちて松の声
あだにや風の破るらん

芭蕉の葉をバサバサと鳴らして吹き落ちる松風の音
芭蕉葉はその松風の音にも  はかなく破れてゆくのか

「風吹けばあだに破(ヤ)れ行く芭蕉葉のあはれと身をも頼むべき世か」 西行にもとずく
「砧」の次第に「衣に落つる松の声」とある

(ひとこと)
「万物はそのままの姿が成仏の相を示している」と、芭蕉の精が修業の僧に説く痛快さは「卒塔婆小町」のようですが、登場の次第は無難です。
芭蕉と松が同じような緑の植物であり、「砧」の次第の方がずっと優れていると思います。

結末  地謡
返す袂も  芭蕉の扇の
風茫々と  ものすごき古寺の
庭の浅茅生(アサジウ)  女郎花刈萱(オミナエシカルカヤ)
面影うつろふ  露の間(マ)
山颪(オロシ)松の風  吹き払ひ
花も千草も ちりじりになれば
芭蕉は破れて  残りけり

袂をひるがえす その芭蕉葉の扇によって
風がざわざわとして ものさびしい古寺の
庭の浅茅生上で 女郎花・刈萱が風に吹き乱れ
その女の姿は移り動いて あっという間に
山より激しく吹きおろし 松に音たてた風が 野辺を吹き払い
花も千草もちりぢりになってしまったので 女の姿も消え失せ
芭蕉葉は破れて ただ風に破れて芭蕉葉が残ったのであった

(ひとこと)
次第に呼応している詞章。すべては僧の夢であったという詞章がないことがかえって効果をあげています。
山颪に続く「松の声」は、次第の「松の声」よりずっと動きがあり、寂寥感も伝わります。
舞袖や扇を芭蕉葉に例え、女郎花を引くなど、「女人」の曲の最後は荒涼としたイメージながら華やかさも。「冷える」とはこんな境地でしょうか。禅竹の作。














2012-09-21

白楽天


あらすじ
唐の詩人白楽天が日本の知恵を計れという勅令により筑紫の松浦潟に到着する。そこで小舟で釣りをする漁翁と漁夫に出会う。漁翁は楽天の名や旅の目的を言い当て、楽天が目前を詩に詠むと、直ちに和歌に翻訳する。漁翁は日本では蛙や鶯までもが歌を詠むのだといい、舞楽を見せようと告げ消える。漁翁は実は住吉明神で、やがて気高い老神として現れて舞を見せ、その後、多くの日本の神々と共に神風を起こし、楽天を唐土へと吹き戻すのだった。

次第  ワキとワキツレ
舟漕ぎ出でて日の本の  舟漕ぎ出でて日の本の
そなたの国を尋ねん

「日の本」とは、日出づるもと(東)にある国

(ひとこと)
白楽天が登場歌をうたうというのに、なんともそっけない詞章。日本の優越性を宣伝する曲ですから大詩人といえどもワキであり、その言葉も軽く扱われているようです。

結末  地謡
住吉現じ給へば  住吉現じ給へば
伊勢岩清水賀茂春日  鹿島三島すは(・諏訪)熱田
安芸の  厳島の明神は
(シャ)かつ羅龍王の  第三の姫君にて
海上(かいしょう)に浮んで  海青楽を舞ひ給へば
八大龍王は  八りんの曲を奏し  空海に翔りつつ
舞ひ遊ぶ小忌衣(オミゴロモ)の  手風神風に
吹き戻されて唐船は  ここより漢土に帰りけり
げにありがたや神と君  げにありがたや  神と君が代の
動かぬ国ぞめでたき  動かぬ国ぞめでたき

和歌の神の住吉明神は、航海の守り神であり外敵調伏の軍神
「伊勢岩清水 賀茂春日 鹿島三島」は、「イ」「カ」「シマ」の連韻
「諏訪熱田」も外敵を征伐する神
「八りん」は「八音」のなまりか 続く「空海」は「九界」で数韻とも思われる
「手風」は舞の手を動かすにつれ起こる風
「神と君が代の動かぬ国ぞめでたき」と、最後は神徳と君徳とは一体であるという考え方により国土を祝福

(ひとこと)
結末の詞章の調子のよさは格別です。韻を踏んで神々を呼び出し、間に「すは」という感動詞を挟むところなど感動もの。
次第の「舟漕ぐ」「そなたの国」に応じるように、結末では「海上」「海青楽」「唐船」「動かぬ国」が用いられています。
日本は島国で外敵は常に海から来て、しかもそれを水際で抑えてきた歴史を思い起させる結末。
さて21世紀の日中関係はどんな結末になるやら・・。