2012-11-23

仏原


あらすじ
都の僧が白山禅定を志し、加賀国仏原に到り草堂に泊まろうとする。そこへ女が現れ、白拍子の仏御前のために読経を乞い、夜中読経の声が澄み渡る。やがて女は僧の問いに、寵を失い髪を下ろした妓王を嵯峨野に尋ねたことを物語り、重ねての尋ねに、草堂の主は仏と言いさして消える。僧の回向に、明け方に現れた仏御前の霊は舞を舞い、「一歩挙げざる前(サキ)をこそ、仏の舞とは言べけれ」と悟堂を示して消え失せた。

次第  ワキとワキツレ
よそは梢の秋深き  よそは梢の秋深き
雪の白山(シラヤマ)尋ねん

秋深き長月、よそでは木々の梢が紅葉しているのに白山では雪が深く積もっている
その雪の白山を尋ねよう

(ひとこと)
秋深き、深き雪、雪の白きと続き、紅と白の視覚的イメージも豊かと、脚註にあります。
梢の秋から紅葉を想像するのは、続く詞章に「神のははそのもみぢ葉の」とあるからでしょう。
冒頭が「よそは」というのがめずらしく、雪で神々しさを増した白山が周辺から際立つ様子もわかります。

結末  シテと地謡
あらし(あらじ・嵐)吹く雲水の  嵐吹く雲水の
天に浮かめる波の  
一滴の露の始めをば  なにかと返す舞の袖
一歩挙げざる前をこそ  仏の舞とは言ふべけれど
謡ひ捨てて失せにけりや  謡ひ捨てて失せにけり

大海の水も一滴の露から起こる。
その露の始め以前は無、それこそが仏の舞なのである。
人仏不二、無の段階では人も仏も区別はないという主題を提示して終わる。

(ひとこと)
難しい仏教哲学を示されて結末となります。
しかも「謡ひ捨てて」という詞章は非常に稀で、客観性を強く感じます。
平家物語の仏御前の優しさからでは出てこない迫力、しかも静か。どこか漢詩の雰囲気もあり、とにかく不思議な曲です。



















2012-11-21

舟弁慶


あらすじ
源義経は随行の郎党と共に、頼朝との不和により都落ちし、尼崎・大物の浦に着く。弁慶は船頭に宿泊と舟の用意を依頼し、義経に同行の静御前を都へ帰すよう進言する。静は涙ながらに舞を舞って別れる。やがて西国への船出となり、天候が急変して、弁慶は船頭に将来の海上支配権を予約するものの海は荒れ、海上に滅亡した平家一門の霊が現れ、平知盛の怨霊が義経に襲いかかる。しかし義経が応戦し、弁慶が祈祷すると、怨霊はしだいに遠ざかって行く。

次第  ワキとワキツレ
けふ(京・今日)思ひたつ(立・裁)旅衣  今日思ひ立つ旅衣
きらく(着・帰洛)をいつと定めん

今日思ひ立って京の都から旅に出る 今日思い立って旅に出るのであるが
再び都へ帰る日をいつと定めることができようぞ

(ひとこと)
謡曲を読む楽しみの一つは、同音異義の掛詞や縁語です。
たつ―衣―着ると続きますが、耳で聞いてどれだけわかるものでしょうか。
「都落ち」とは口にしない武家のならい。先の見えない逃避行の哀れさが伝わる詞章です。

結末  地謡
その時義経すこしも騒がず  その時義経すこしも騒がず
打ち物抜き持ち  うつつ(打・現)の人に  向かふがごとく  言葉を交はし
戦ひ給へば  弁慶押し隔て  打ち物業(ワザ)にて  叶ふまじと
数珠さらさらと  押し揉んで  東方隆三世  南方軍だ利夜叉
西方大威徳  北方金剛  夜叉明王  中央大聖
不動明王の索にかけて  祈り祈られ  悪霊次第に  遠ざかれば
弁慶舟子に力を合わせ  お舟を漕ぎ退け  
汀に寄すれば  なほ怨霊は  慕ひ来たるを  追つ払い祈り退け
また引く潮に  揺られ流れ  また引く潮に  揺られ流れて
跡しらなみ(知らず・白波)とぞ  なりにける

その時義経は少しも騒がないで 刀を抜いて持ち 生きた人に立ち向かうように
言葉を交わして 戦いなさったので 
弁慶は二人を押し隔て 力で戦うのではうまくいかないと
数珠をさらさらと押し揉んで  (略)  
と不動明王の索の縄に頼みをかけて祈ると このように祈られたため 
悪霊は次第に遠ざかって行くので
弁慶は舟子に力を合わせて お舟を漕いで その場から離れ
岸辺に寄せたところ なおも怨霊は 追いすがってくる それを追い払い祈り退けたので
怨霊は折からの引く潮に揺られ流れ また引く潮に揺られ流れて行って
跡知らず 行方がわからなくなり  海面には白波だけになったのであった

(ひとこと)
「その時義経すこしも騒がす」は、能を離れてもよく使われていた言葉です。
日本人は豪快な弁慶とはちがう、義経の静かな勇気や品格も大好きだったのですね。
平知盛の亡霊が舟を追って来るのを「慕い来たる」と表現するのも何やら雅。
ただ彼等三者だけでは、この場面は成り立ちません。
たくましい舟子達の躍動的な動きを想像することで、迫力満点の結末となるのです。


















2012-11-17

藤戸



あらすじ
佐々木信綱が藤戸の先陣の功により備前の児島に領地入りをすると、わが子を盛綱に殺された母が来て恨みを訴える。はじめは取り合わぬ盛綱だが、浅瀬を教えて貰った男への疑惑から殺害したと告白。母は嘆き悲しみ自分も殺してくれと迫るが、盛綱は弔いを約束し母を帰す。管弦講が始まると猟師の亡霊が現れ、不当な死を詠嘆し盛綱を責め、往事の様子を語る。最後は供養により男は成仏する。

次第  ワキとワキツレ
春の湊の行く末や  春の湊の行く末や
藤戸の渡りなるらん

過ぎて行く春のたどり着く所 過ぎ行く春の終わりに

咲くのは藤の花 私の行く先も藤戸の渡し場なのだろうか

(ひとこと)
「春の湊」の穏やかさではすまない、「行く末」という詞に不穏な雰囲気が感じられます。
藤戸に「藤の花」が含まれているとは気が付きませんでした。

結末  地謡

折節引く潮に  折節引く潮に
引かれて行く波の  浮きぬ沈みぬ埋れ木の
岩の狭間に流れかかつて  藤戸の水底の
悪霊の水神となつて  恨みをなさんと思ひしに
思はざるにおん弔ひの  御法の御舟にのり(乗・法)を得て
すなはち弘誓(グゼイ)の舟に浮かめば  
水馴れ棹  差し引きて行くほどに
生死(ショウジ)の海を渡りて  願ひのままに易々と
彼の岸に到り到りて  成仏得脱の身となりぬ
成仏の身とぞなりにける

現代語訳は省略


(ひとこと)
すぐ前にゾクっとするような詞章(下)があり、結末はそれを静に収めるような格好です。

  われを連れて行く水の 氷のごとくなる
  刀を抜いて胸のあたりを 刺し通し刺し通さるれば
  肝魂も 消え消えになるところを
  そのまま海に沈みしに 
  
「引く潮」は「行く水」と対。
「浮きぬ沈みぬ」や「到り到りて」の表現は波がチャプチャプあるいはひたひた寄せる感じ。亡霊のいる場や動きが目に浮かびます。
非常に悲惨な話ですが、最後の成仏では馴染みの詞章が用いられ心が和みます。お手軽な気がしないでもないですが。













2012-11-07

富士太鼓


あらすじ
萩原院の臣下が、住吉から管弦の役を望んで上洛した楽人「富士」の横死について語り、妻が訪ねて来たら知らせるよう従者に命じる。妻は夢見の胸騒ぎから都に上がったのだが、夫が勅命で召されていた「浅間」に殺されたと聞き涙にくれる。形見の鳥兜と衣装を渡されると、妻は夫を留めるべきであったと歎き、形見をつけて狂乱の態で太鼓を夫の敵と思い定め娘と共に打つ。やがて富士の霊が妻に乗り移って太鼓を打ち楽を舞う。霊が身を離れると、妻は名手の夫を偲んで涙するが、太鼓を打ち続ければ修羅の心は去り、太鼓を形見と見置きて帰郷した。

次第  シテと子方
雲の上なほ遥かなる  雲の上なほ遥かなる
富士の行方を尋ねん

雲の上よりも高い富士の峰 はるばる雲居(内裏)に上った
わが夫富士の行方を尋ねよう

(ひとこと)
後述によれば妻には勅命もないのに勝手に参上した夫の身が案じられて後を追ったのです。
雲より高い富士という名を持つにしても雲居の高さに叶うわけがない。
この作品の本歌は富士と浅間山の煙比べで、そこでも富士は活火山の浅間に負けています。

結末  地謡
これまでなりや人びとよ  これまでなりや人びとよ
(イトマ)申してさらばと  怜人の姿とりかぶと(取・鳥兜)
みな脱ぎ捨ててわが心  乱れ笠乱れ髪  かかる(掛・斯)思ひは忘れじと
また立ち帰り太鼓こそ  憂き人の形見なりけれと
見置きてぞ帰りける  跡見置きてぞ帰りける

もはやこれまで皆様 これで失礼します
お暇いたしますと言って 楽人の装束や鳥兜を
みな脱ぎ捨てて 笠をいい加減にかぶり髪を乱し
私の心が乱れた原因はこの太鼓 このような思いは決して忘れることはあるまいと
また立ち戻ってきて この太鼓こそは夫の形見であったのだと
じっと見た後に帰って行った よくよく見つめてから帰って行ったのだ

(ひとこと)
狂乱の敵打ちが終わり、夫への恨みも夫を誇りに思う心も妻はすべて脱ぎ捨てて、ここで初めて夫の死を受け入れたのです。結末はまた悲しみの中の門出です。
宮中の人々への別れの挨拶は、観衆、読者への挨拶でもあり、舞台から下りるように妻は去って行きます。
それでも「跡見置きてぞ帰りける」には、断ちきれぬ妻の未練が感じられ、本人が去っても心はまだ舞台の上に残っているような・・。



















2012-11-02

百万


あらすじ
吉野の男が奈良の西大寺あたりで拾った子を連れて、嵯峨清涼寺の大念仏にやって来る。そこへ百万と名乗る女物狂が現れ、念仏を唱え踊りながら、生き別れた我が子との再会を本尊に祈念する。子は母と気付くが母は知らぬままに舞を奉げて祈り、群集の中に我が子の姿を捜し求めるのだった。やがて男が子を母に逢わせて喜びの対面となり、母子は仏力に感謝し奈良の都へと帰って行く。

次第1 ワキ
竹馬(チクバ)にいざやのり(乗・法)  竹馬にいざや法の道
真の友も尋ねん

少年が竹馬に乗るように 喜び勇んで仏道に入り
仏門の真の友を尋ねることにしよう

(ひとこと)
「竹馬の友」という言葉があるが、それとは関係ないようです。「竹馬」は7歳という年を表すとも。
子どもに関わる曲であることを冒頭で示し、「法の道」で仏力が讃美されます。吉野の男はずいぶん信心深い。

次第2  シテ
わが子に  あうむ(逢・鸚鵡)の袖なれや
親子鸚鵡の袖なれや  百万が舞を見給へ

わが子に逢うことを念じてか 鸚鵡模様の衣の袖
親子が再び逢うことを念じてか 鸚鵡模様の袖をひるがえす
この百万の舞をごらんください

(ひとこと)
次第の2句目は初句の繰り返しが多いそうですが、これは全くちがいます。
切ない母の心情がこめられた袖の模様。その袖も重なり合ってほしいという母の願望。
クライマックスに導く力強い詞章です。

キリ  地謡
よくよく物を案ずるに  よくよく物を案ずるに
かの御本尊はもとより  衆生のための父なれば
母もろともに廻り逢ふ  法の力ぞ有難き
願ひもみつの(満・三)の車路を
都に帰る嬉しさよ  都に帰る嬉しさよ

よくよく考えてみると あらためてよくよく思えば
かの御本尊釈迦如来はもとより 衆生のための父なのだから
その御前で母も一緒に(子と)めぐり逢うという、仏の力は誠に有難い
願いも満ちて 車の通う道を
都に帰るとはうれしいこと 連れ立って(奈良)の都へ帰るのはうれしいことだ

(ひとこと)
観阿弥原作、世阿弥改作のこの曲は、清涼寺の縁起がもとになっているのですからハッピーエンドは当然です。
アイの解説に、「嵯峨の大念仏は人の集まりにて候ふ間」とあるようにドラマの背景には「雑踏」があり、キリの「車路」でも賑わいが想像できます。
この、仏に縋ろうと集まる「衆生」の存在が、百万の悲しみに厚みを与えているように思えます。
次第1の「法の道」が、結局は、古里へ通じる「車路」に変りました。