2011-12-31

ブルーな松

2011年終了まであと2時間を切りました。

パソコンを直してブログが再開できたとたん、今度は自分が故障!で、痛み止めを飲みながらの年越しの更新。
単なる腰痛なのですけど、座り続けるとあとがつらい。本日午後にアップした写真の説明だけでご勘弁を。

明日の元旦は夫婦ふたりだけです。
「おせち料理」は重箱に詰めるのはやめ、小振りなお皿に盛りつけなければ。寂しいお膳が華やぐような、新年にふさわしいものはないかな・・。

と、食器棚を探索して見つけ出したのがこの2枚です。

青い絵皿は、頭としっぽの位置関係が分かりませんが、「龍」にちがいはありません。
深みのある青は、空でしょうか、海でしょうか。




次は現代作家の手になる「寿皿」。青いのが「松」です。

「白砂青松」といいますが、日本人にとって青は「緑」のことですから、このブルーは不思議です。
松竹梅でありながら、あまり「おめでたく見えない」ところが気に入りました。




以上。そろそろ痛み止めが切れてきました。
これからテレビの「ゆく年くる年」を見ます。何だかはっきりしない二つのブルーですが、意味不明であるのも興がありますね。

そうだ、来年はブルーでいきましょう。




2011-12-29

お正月の松



パソコンの不具合からどうにか脱出。
「あかよろし」つまり、「明らかに良い」とはまだ言えませんが、ぼちぼち更新していきます。

この花札は、今となっては親の形見というか、子ども時代の大切な思い出の品です。
大昔のイタリア駐在の折りに、私はこの花札を荷物のなかに入れました。きっと日本文化を紹介しようと勇んでいたのですね。

カードゲームの代表といえばトランプですが、実家ではお正月だけ遊ぶ「花札」が大人気。
しかも子どもといえども容赦をせずに徹底的に「勝負」。決戦は二日の夜です。

勝負運のない私がいつもビリ。父は「めくり」が良く、母は素知らぬ顔をして「フケ」で高得点。
兄は負けず嫌いで、私が寝てからも深夜まで親と遊んでいました。

「あかよろし」を「あなよろし」と読んでいたあの頃の楽しさ・・。もどろうにもどれない寂しさ・・。
30年以上もしまい込んでいた花札ですが、一月の松の「黒々と美しい色」は変りません。




2011-12-19

さて困った!





ブログ設定を変更したために、文字化けをするなど、投稿が不自由になりました。

問題が解決するまで、「夢の松 現の松」を中断、あるいは停止をします。






2011-12-14

巻かれた松


昨日の多摩川台公園の松たちです。ピンぼけもいいとこ。
今朝、初めてトリセツを読んで、携帯カメラの「AF」ボタンを知りました。

じゃあ今までどうやって撮っていたの? それが分かるようならピントだって合わせられる。
撮り直してもよいのですが、今日は寒いし、昨日の無知はそのままに。ブログですからね。




近所の「多摩川台公園」「宝来公園」「せせらぎ公園」の松を合わせると数百本はあるでしょう。
この半月で松のほとんどに区の事業として「こも巻き」が施されました。いわゆる冬の風物詩。

メタボ腹だろうが、胃下垂だろうが、古いのも若いのも、枯れていようが何だろうが、全く同じような「腹巻き」姿です。

「こも巻き」は江戸時代から続く、マツカレハの幼虫である「マツケムシ」を退治する方法。それぐらいはわかりますが、はたして効果があるのか、ないのか。
松に代わって尋ねたい気持ちです。いかにも「おざなり」な仕事なのですもの。

ウィキペディアで調べてみたら、やっぱりね。


この駆除法の効果と問題点を比較検証した研究で新しいものとしては、兵庫県立大学環境人間学部の新穂千賀子らが2002年から5年間かけて姫路城で行った調査[1][2]があり、これによればこも巻きに捕まったマツカレハはわずかであり、対して害虫の天敵となるクモやヤニサシガメが大多数を占め、害虫駆除の効果はほとんど無く、むしろ逆効果であることを証明した。
もっともこの研究以前から、天敵や設置方法への配慮が必要との声は古くから上がっており[3][4]、天敵の捕殺の程度を検証し、害虫を効果的に選択するための研究も行われている[5]。そのため、皇居外苑京都御苑では既に20年以上前から行われておらず、浜松市2007年から中止している[1]

結局、大田区の松は、区民の大切な「税金」を無駄に巻いて、寒空に立っているのです。
腹巻きは薄手だし、保温効果もないでしょう。





2011-12-09

六義園


庭から我が家のベランダを見上げたところです。屋根の後ろはケヤキの大木。この木がどれほど大量の落葉を降らせることか。
壁には「ヒマラヤ杉」の影が映っています。

山小屋風の家は窓が小さく、日差しもベランダまでしか届かず、しかも古くてとても寒い。
左の窓がパソコン部屋で、震えながらブログを発信。せめて書く内容ぐらい温かいものにしないと。

ちょうどMXさんから頂いたばかりの写真が2枚。季節はずれだけれど花のピンクにほっとします。




MXさんは「六義園」は初めてで、仕事先の帰りに立ち寄ったそうです。お土産用に「生写真」が売られているとはね。

明るいベランダで写真を撮ろうとしたら、ここにはヒマラヤ杉から「降ってくるもの」が・・。

それにしても懐かしいです。駒込の「六義園」は生家に近いので、よくお花見に行きました。
「しだれ桜」は昔から有名でしたが、この半分もなかった。こちらが年をとるわけですね。

六義園は、もとは柳沢吉保の下屋敷です。
明治になって所有した「岩崎弥太郎」が、周囲を赤レンガ塀で囲ったのだとか。今やレトロモダンの「帝都の庭園」として人気があるようです。
子どもの頃は「刑務所みたい」で怖かったけれど。

2枚目は「ツツジ」です。トリミングをして、池の水に映る美しい「影」に注目。


元禄四年(1691年)、三月二十日、
将軍徳川綱吉が側用人柳沢保明(後の吉保)の屋敷に初めて御成りをした。
保明は御成りに備えて建物を新築し、能舞台、楽屋を作った。
「徳川実紀」によると、この日、能狂といわれた「綱吉」は、自ら能を舞っています。
「難波」・「橋弁慶」・「羽衣」・「是界」・「乱」の五番。

能舞台には素晴らしい「影向(ようごう)の松」があり、(影向とは神がこの世に姿を現すこと)、庭には全国から集めた「松」の名木。

天下人の独り舞台は、「夢の松」も「現の松」も独り占めです。







2011-12-04

黄金の木々

黄金の秋   


Yさんからの「アート葉書」、今回はイリア・オストロウーホフが1886年に描いた作品です。

日付は、Yさんのいつもの表記で「2011 Nov.30」とあり、「すべりこみセーフ(笑)で秋のロシアを。夏のロシアもいいけど、短かい秋ももっといいんだろうなと勝手に想像・・・」という文章で始まっていました。

11月はまだ「秋」のうちですものね。記念切手も「諏訪大社 下社秋宮」で、Yさんらしく行き届いていますが、投函した日はもう冬。


私は絵葉書が大好きで、美しい絵柄の葉書を、庭に舞いこんだ「黄金の落葉」のように大事にしています。
このオストロウーホフはまさにそれ。厳寒の冬を前に「黄金の秋」を謳歌する「ロシア」。帝政時代であってもロシアの「ボリューム」はすごい。

それに比べて、田園調布の「黄金の木々」の、なんとさびしくて貧弱なことか!
周辺住民の要望でなのでしょう。歩道側を大幅に刈り込んでしまった「片袖のイチョウ並木」は。
高齢化が進み、土地の値段も下がる一方で、街も、人の心も衰えてしまっています。

写真は11月30日午後に撮りました。
ここ数日の雨風ですっかり落葉となりましたから、「すべりこみセーフ」の一枚。






2011-12-01

WATASI NO MOMIJI


イタリア在住のAさんから再び「モミジ」の写真が届きました。自宅の庭で育てているニッポン原産の「イロハモミジ」。

温暖化のためにイタリアでも暖かな日が続き、こんなに赤くなるとは思わなかったそうです。夜間に撮ったのか。照り輝いていますね。

風が吹いたらオシマイだけど・・と、もう散り際に思いをはせるAさん。やっぱり日本人です。桜の花を惜しむように眺めている。

冬を告げる北風に浚われてしまうようなモミジ。飛び散るモミジから私が連想するのは、能「花筐(はながたみ)」のヒロインである「照日の前」です。
継体天皇への思慕を踏みにじられて錯乱する彼女を、「上村松園」が描いています。

1915

Aさんのモミジの写真は、少しトリミングさせて貰いました。葉っぱの形が見えるように。葉の切れ込みを、1,2・・ではなく、イロハ・・と数えてみて下さい。
そうです、イロハニホヘトの7つで「イロハモミジ」。ほんとかしら。「イロはモミジ(に限る)」の方がずっと面白いのに。

ところで、「い・ろ・は・す」という飲料水がありますね。
ボトルが植物由来で環境に良いということと日本独自をアピールし、「いろは」と「ロハス」をくっつけて「ILOHAS」。こちらはネーミングが中味以上かも。

日本では蛇口をひねれば出てくる水道水が、健康にも環境にも良く、しかも安上がりで一番!と、誰もが思っていた時代もありました。