あらすじ
三輪山麓に住む僧の玄賓(ゲンピン)が、いつも参詣に来る女を待つ。その日、女は玄賓に衣を乞い、玄賓は衣を与え女の素性を尋ねる。女は杉が目印だと住みかを教えて消える。里の男がご神木に衣が掛かるのを見付けて玄賓に知らせ、玄賓が確かめると衣の裾に金色の文字で歌が書かれている。その歌を詠むと杉木の中から返歌が聞え、女姿の三輪明神が姿を現す。明神は三輪の神婚譚を語り神楽を舞い、伊勢と三輪の神が一体分神だと物語り、やがて夜が明ける。
次第 シテ
三輪の山もと道もなし 三輪の山もと道もなし
檜原(ヒバラ)の奥を尋ねん
三輪の山のふもとは道もない 山のふもとは道もないのだが
檜原の奥を尋ねることにしよう
(檜原は大和国 三輪山の北麓 檜原谷に玄賓の庵があった)
(ひとこと)
ワキである玄賓は自分を山田を守る案山子に例え「秋果てぬれば訪ふ人もなし」と述べます。冒頭の次第でシテが「道もなし」というのに応じているのか。よほど寂しい場所のようです。
結末 地謡
思へば伊勢と三輪の神 思へば伊勢と三輪の神
一体分神のおんこと いまさらんいといはくら(言・磐座)や
そのせき(塞・関)の戸の夜も明け
かくありがたき夢の告げ
覚むるや名残なるらん 覚むるや名残なるらん
考えてみると伊勢と三輪の神とは
もともと一体の神 それが二つに身を分けて出現なさっということは 今さら言うまでもない
あの天の岩戸の その戸ざしの開いた時のように夜も明けてきて
このようにありがたい夢のお告げが覚めてしまうのは まことに名残惜しいことだ
本当に残念なことである
(ひとこと)
この曲のクライマックスは明神の謡う神婚譚です。
仲睦まじい男女が、女が夜しか訪れのない男を不審に思い、男の衣に糸をつけて後を辿って行くと、三輪の神木に糸の先があった。つまり男は神だったという話。
結末は、天の岩戸前での神楽の再現の後に、伊勢神宮と三輪明神が一体と語られ、厳かというより華やかな感じ。そんな夢なら覚めてほしくない。
三輪明神は男でもあり女でもありという、官能的なおおらかさもこの曲も持ち味です。