2012-09-13

軒端梅


あらすじ
都の東北院に咲く梅は、藤原道長の娘彰子の御所であった時に、和泉式部が植え置いた軒端の梅であった。東国から出た旅僧とその梅をめでた女は、自分はこの梅の主であると言い姿を消す。僧の読経に現れた和泉式部は、道長が車の中で法華経を読誦しながら通った時に歌を詠み、その功徳で歌舞の菩薩になったこと、そして東北院こそ極楽の地であると言って舞を舞う。しかし僧の夢が覚めると式部も消えてしまうのだった。

次第  ワキとワキツレ
年立ちかへる春なれや  年立ちかへる春なれや
花の都に急がん

年が改まり 再び春となったことだ
新たに年の始まるこの春 都に急いで行こう
「立ち返る」は年と春の両方に掛かる。

(ひとこと)
「立ち返る」という言葉が、改まる、新たになる、という時の新鮮な引き締まった気持ちをよく現しています。
「花の都」の花は華やかさの意で桜ではないですね。梅は花の時期が長いのでそんなに急がなくてもいいのに。

結末  地謡
今は  これまでぞ花は根に  鳥は古巣に帰るぞとて
方丈の灯し火を  火宅とやなほ人は見ん
こここそ花の台(ウテナ)に  いづみ(出づ身・和泉)式部が臥所(フシド)よとて
方丈の室(シツ)に入ると見えし  夢は覚めにけり
見し夢は覚めて失せにけり

今はもうこれまでである 花は根に 鳥は古巣に帰るように 私も帰ることにする
この方丈に灯火のあるのを 人々は火宅だとなお思うかもしれないが
こここそ極楽の蓮華の台 その上に座している私の住み所なのだと言って
方丈の部屋に入るかと思ったら 夢は覚めてしまった
僧の見た夢は覚めて 和泉式部の姿は消えてしまった

(ひとこと)
この結末は、和泉式部がいかに世間から「恋多き女」と非難されていたかを伝えています。
歌舞の菩薩なんぞより、そんな彼女の姿を世間は求めていたのです。
方丈の室とはベッドルームです。あり得ないにしても式部と道長の逢瀬を想像してしまいます。
僧の夢が覚めるのは夢幻能のお決まりですが、この夢にはもっと深い意味をこめて読みたい。