2012-09-19
野宮
あらすじ
晩秋、嵯峨野の野宮の旧跡に現れた女は、九月七日の今日は光源氏が野宮に六条の御息所を訪ねた日と僧に言い、二人の間のこと、伊勢に斎宮の娘とともに下向した御息所のことを語り、名を明かして黒木の鳥居の陰に消える。その後、車に乗って現れた御息所は、賀茂祭の車争いの屈辱を述べ、妄執を晴らしてほしいと頼む。源氏の来訪を偲ぶ舞の後、再び車で出て行った御息所は、はたして火宅を出たのだろうか。
次第 シテ
花に馴れ来しののみや(野・野宮)の 花に馴れ来し野の宮の
あき(秋・飽)より後(ノチ)はいかならん
秋の花の咲くのを見馴れた嵯峨野の野の宮、その季節の過ぎた後はどんなに淋しいことか。
光源氏の寵愛を受けた栄華の時代が過ぎ、捨てられた後の淋しさを詠嘆します。
(ひとこと)
「花」は光源氏、「野の宮」は御息所のたとえであると読むと、彼女への哀れさが増します。
でも秋草の乱れ咲く野の宮だってとても「華やか」。
結末 地謡
ここはもとより 忝(カタジケ)なくも 神風や伊勢の
内外(ウチト)の鳥居に 出で入る姿は
生死(ショウジ)の道を 神は享(ウ)けずや
思ふらんと また車に うち乗りて
火宅の門(カド)をや 出でぬらん
火宅の門を
ここの野宮はもとより忝くも 伊勢神宮の内宮外宮と同じ
その鳥居を出たり入ったりする姿は
生死の道に迷うかと見え 神はご納受なさらぬ
お気持ちであろうかと また車に乗って
出ていったが 迷界の門を出て成仏したのだろうが
この迷いの世界の門を
(ひとこと)
作者(金春禅竹か)は源氏物語に深く依拠しながら、御息所の人間性をくっきりと描き出します。
主人公の成仏が不明である結末はめずらしく、しかも「火宅の門を」で切る大胆さ。
神仏から突き離された女は、恋の妄執により自分自身が輪廻の車になってしまうのですね。
話が終わらない「結末」は、読者の心にいつまでも残り続けます。