2012-09-08


あらすじ
旅僧が熊野から都への途中、摂津の国蘆屋の里に着く。川崎の御堂に泊ると、異様な姿の舟人が空舟(ウツボブネ)に乗って現れる。それは近衛の院の御代に源頼政に射られて死んだ鵺の亡心であった。亡心はその時の有様を語った後にまた空舟に乗って消える。旅僧の弔いに鵺の姿で現れた亡心は供養に感謝し、退治された時の模様を頼政の立場で語り、名をあげた頼政に引き換え暗黒の世界にいる身を照らしてほしいと願って海中に消えて行く。

次第  ワキ
世をすてびと(捨・捨人)の旅の空  世を捨て人の旅の空
(コ)し方いづくなるらん

世を捨てた身で 旅を続け 世捨人の身で 旅の空にさすらっていると
どこを通りすぎて来たのか わが身の過去もわからいないことだ

(ひとこと)
世を捨てるということは自分の過去をも捨てること。旅僧として当たり前のことなのに胸をうつ詞章です。聞き役としてのワキはここまで「まっさら」ではなくてはいけないのか。

結末  地謡
頼政右の膝をついて  左の袖を広げ
月を少し目にかけて  弓張月の  いる(入・射)にまかせてと
つかまり御剣(ギョケン)を賜り  御前を罷り帰れば
頼政は名を上げて  われは名を流す空舟に
押し入れられて淀川の  淀みつ  流れつ行く末の
鵜殿も同じ蘆の屋の  うらわ(裏葉・浦廻)のうきす(浮巣・洲)流れ留まつて
朽ちながら空舟の  月日も見えず暗きより  暗き道にぞ入りにける
遥かに照らせ山の端の  遥かに照らせ 山の端の月とともに
海月にも入りにけり  海月とともに入りにけり

「右膝をつき左の袖を広げ」は剣を拝領する時の作法か
「月も少し目にかけ」は月を横眼にみること
「弓張月のいる」は慣用の歌語
「鵜殿」は蘆の名所
「月日もみえず暗きより・・」は和泉式部の「暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月」に基づく
「海月」は海面に映った月影、空舟の意味にもなり、また海月(クラゲ)とも関係あるか

(ひとこと)
「平家物語は頼政の立場から描かれ、謡曲は敗者の側から描かれて哀感がこもる」と評価される名曲。和泉式部の歌が最大の効果をもたらしています。
山の端の月とともに海に映る月影も消えていまえば、そこには真の闇が広がるばかり。
化け物には成仏も許されないという哀しみに人々は共感します。
また、名をあげた頼政の武勇の躍動的な表現がすばらしい。鵺の苦悩ばかりが前面に出ていたらこれほど面白くはなかったはずです。