2012-08-31

錦木


あらすじ
陸奥(ミチノク)の狭布(キョウフ)の里を訪れた僧は、錦木と細布を売る男女に出会う。二人は女の門(カド)に夜ごとに錦木を立て、女が取り入れれば恋が叶うという土地の風習について語る。また、千束(チツカ)立てても想いが遂げられずに死んだ男の話をし、その塚に僧を案内し、そこで塚に入る。僧が供養をすると二人が現れ、懺悔のために、生前の行い(男は錦木を立て、女は機を織る)を再現する。懺悔が終わり男は恋の成就を示すように舞を舞うが、それも僧の夢であった。

次第  ワキとワキツレ
げにや聞きてもしのぶやま(偲・信夫山)  げにや聞きても信夫山
その通ひ路を尋ねん

信夫山の名を聞くにつけても偲ばれるのは 人の心の奥を見たい「忍びて通ふ路もがな」と詠まれた古歌、その陸奥の恋路を尋ねてみよう
伊勢物語十五段をふまえる。

(ひとこと)
世阿弥作らしく和歌が多用され、次第も和歌にちなんでいます。信夫山は「みちのく」の歌枕。
引用の古歌が難しいので、私は「しのぶ」や「通ひ」の詞章から恋の話だと思うだけです。

結末  地謡
とりどりさまざまの  夜遊のさかづき(盃・月)に
映りてありあけ(有・有明)の  影恥づかしや
恥づかしや  あさまに(・朝)まにやなりなん
覚めぬ前ころ  夢人なるもの
覚めなば錦木も  細布も
夢も破れて  松風颯々たる
朝の原の  野中の塚とぞ  なりにける

色々様々な夜の遊舞が盃に 映っており
有明の月の 光のもとの わが姿は恥ずかしいこと
なんと恥ずかしいこと やがて朝になりあからさまになってしまうのか
夢の覚めぬうちこそ 夢の中の人としていることができる
覚めれば錦木も 細布も なくなってしまうのだ
という間に僧の夢も破れて 風が颯々と松に吹きわたる
朝の野原の その野中の塚と なっていまったのであった

(ひとこと)
結末の「夢も破れて」の詞章で、すべてが現実でないことをあらためて知るのが夢幻能です。
そのくせ「男(錦木)」と「女(細布)」の情念はリアリティーを帯びて胸に迫っています。
夢幻能は魂のドラマ。世阿弥は「舞」を重視しましたが、魂を表現するのには言葉より身体がふさわしいようです。
「夢人」は「遊行柳」で素敵に使われています。「夢人を現と見るぞはかなき」。