2012-06-20
善界
あらすじ
大唐の首領善界坊が日本国の仏法を妨げんと渡来し。愛宕山の太郎坊を訪ね協力を乞い、仏法の霊地の比叡山に向かう。比叡山では能力が飯室の僧正が、善界坊調伏の勅令を受け都に赴くことになったと触れるが大風に引き返す。僧正も車で禁中に向かうが突然の嵐となり、そこへ天狗姿の善界坊が現れ僧正を襲うが、仏法守護の神仏が出現し神風に追い払われて敗北退散する。
次第 シテ
雲路を凌ぐ旅の空 雲路を凌ぐ旅の空
出づる日の本を尋ねん
凌雲(雲を押し分けて天空を飛ぶ意)という漢語をひらいて「雲もしのぐ」。
「旅の空」といえば普通は旅に出ている時の心境をいうが、ここでは「空の旅」のこと。
「日」は前後にかかっている。
(ひとこと)
謡曲は「鬼」や「天狗」の荒唐無稽な話を格調高く繰りひろげ、それでいて滑稽さも秘めているところがよいのです。
昔の人にしてみれば、人間以上の存在感があったでしょう。僧正よりずっと。
「雲路を凌ぐ空の旅」にして読んでみると、詩ではなく散文になってしまいます。
次第は曲の冒頭にあります。
結末 シテと地謡
・・
立ちさると見えしが また飛び来たり
さるにても かほど妙なる 仏力神力
今より後は 来たるまじと
言ふ声ばかりは 虚空に残り
言ふ声ばかり 虚空に残って
姿は雲路に 入りにけり
「立」は掛詞、仏法を妨げる目的が逆に仏法の力を引き「立」たせることになったの意味を含む。
曲の最後が「雲路」。曲の始めも「雲路」。
(ひとこと)
雲から雲へ。飛行が得意な天狗の、雲をつかむような話あるいはお伽話と読んでも面白いです。
出典は鎌倉期の「是害坊絵」という絵巻。それを変型してあるそうです。
主人公は、仏法の敵である天狗としての悲しみや悩みをかかえています。ただの仏法讃美ではなく、主人公の内面を人間の煩悩と同様に扱う、その視点が魅力ですね。
「言ふ声ばかりが虚空に残る」の微妙に異なる繰り返し。座りがわるい気がしますが「謡」だとどうなのでしょう。