2012-06-08
志賀
あらすじ
桜をたずねて廷臣が従臣志賀の山に行き、薪に桜の枝を添えた老若の樵(キコリ)に出会う。花陰に休む理由を問えば、老樵は大伴黒主の歌を引いて、分不相応なふるまいも貫之が書き示した歌の道に叶う姿だという。そして自分が黒主、今は山神とも人は見るだろうと告げ志賀の宮へ帰る。その夜、奇特を見るために花陰に休む一行の前に志賀明神が現れて、花吹雪の中でめでたく神神楽を舞う。
次第 ワキトワキツレ
道ある御代の花見月 道ある御代の花見月
都の山ぞのどけき
道ある御代とは正道正しき御代のこと。クセの「敷島の道ある御代のもてあそび」に呼応して歌道隆盛の意味も持ちます。花見月は陰暦の三月。
(ひとこと)
この曲では世阿弥の求める幽玄の思想が老樵の姿に表現されています。
次第はおっとりと御代の讃美から始まりますが、全体を貫く「花」のイメージだけはしっかりと初めから。
「都の山」の都は京都のように読めますが、志賀の都の方でしょうか。
結末 シテと地謡
・・
小忌(オミ)の衣の色映えて 花はこずゑ(濃・梢)の白和幣(シラニギテ)
松は立ち枝(エ)の 青和幣
懸くるやかへる(翻・返)や梓弓 はる(張・春)の山辺を越え来れば
道もさりあへず散る花の 雲の羽袖を返しつつ
紅の御袴(ギョカ)の稜(ソバ)を取り 拍子を揃へて神神楽
げに面白き奏でかな げに面白き奏でかな
花の梢の白、松の枝の青、そして紅の袴と三色が揃いました。
貫之の和歌「梓弓春の山辺を越えくれば道もさりあへず花ぞ散りける」が引用されています。
「道もさりあへず」は、道をよけることも出来ないほどに散りかかる花のこと。まさに花吹雪です。
「雲の羽袖」は、雲を衣に見立て神舞の袖をも現します。
(ひとこと)
古今集の仮名序の「黒主評」をもとにした曲ですから、結末も貫之がらみ。世阿弥らしく次第の「道」に対応して「道」の出てくる和歌でしめられます。
私が注目したのは、「拍子を揃へて神神楽」のリズムの良さと、花にも神にも通じる「面白き」という詞です。
「奏でかな」もモダンなイメージで、志賀明神はお年寄りとも思えません。