2012-05-26

源氏供養



あらすじ  

安居院(あごい)の法印が石山寺へ参詣の途中、里女に呼びとめられ「源氏物語」について問答した後、 光源氏の供養を頼んで消え失せる。法印は女が紫式部の霊だと悟り、光源氏と式部の菩提を弔おうとするものの躊躇する。そこへ 式部の霊が現われ舞を舞い、「源氏物語」の巻名を織り込みながら、世の無常を詠嘆し、光源氏の回向を共にする。法印は式部が石山観音の再誕であると悟り、 「源氏物語」がこの世が夢であることを知らしめるための方便であったと知るのだ。


次第1 ワキとワキツレ
衣も同じ苔の道  衣も同じ苔の道
石山寺に参らん


同じ仏道を修する身として  苔むす道を辿り
石山寺に参詣しよう

(ひとこと)
苔の衣は僧衣のこと。「石」を導くための「苔」でもあります。
「石山寺」だけで紫式部の話とわかる導入部。

次第2  地謡
夢の中(ウチ)なる舞の袖  夢の中なる舞の袖
現に返す由(ヨシ)もがな


この夢の中の舞を現実のものにする手だてがあればよいのに。

(ひとこと)
式部の霊が法印に所望されて舞を舞いますが、この舞袖は次の詞章によれば「紫匂ふ袂かな」。
登場人物それぞれに「次第」があり、粗末な衣、正反対に美しい衣で対応しています。

キリ  地謡
よくよく物を案ずるに  よくよく物を案ずるに
紫式部と申すは  かの石山の観世音
仮りにこの世に現れて  かかる(書・斯)る源氏の物語
これも思へば夢の世と  人に知らせん御方便
げに有難き誓ひかな  思へば夢の浮き橋も
夢の間の言葉なり  夢の間の言葉なり


石山観音が紫式部として化現したこと。考えてみれば、夢の浮き橋(夢の中の往来の道)で終わる源氏物語も夢の中の言葉であったのだ。

(ひとこと)
全詞章中に、法華経二十八品に擬して28の巻名が出てきます。キリには最終巻の「夢の浮き橋」が詠まれていますが、曲を通して「夢」という言葉が多すぎて効果のほどはいかに。
キリは広義で結末を意味しますが、これは正真正銘のキリ。物語の客観的総括というところです。

中世では、文学の営みは罪悪であっても、それを転じて仏法の悟りへ導くという考えが一般的でした。作者や主人公が供養をされれば、読者もまた救済される。自由な読みとは言い難いですが、それほど物語の影響力が強かったのですね。