2012-05-25

清経



あらすじ  
家臣の淡津三郎が平清経の形見の黒髪を携え、都の清経の妻のもとを訪れ、 清経が入水したことを告げる。妻は再会を約した夫が、自ら死を選んだことを恨みに思い、形見を返して悲嘆にくれて床に臥す。 妻の夢枕に清経の霊が現れ、形見を返された恨みを言うが、死を決意するに至った経緯、月夜に船上で笛を吹き朗詠をした後入水した模様を物語る。そして今は修羅道に落ちていると訴えるが、最期に唱えた十念の功徳によって成仏できたことを告げて消えていく。

次第  ワキ
八重の潮路の浦の波  八重の潮路の浦波
九重にいざやかへ(返・帰)らん

幾重にも連なり浦に寄せる波、八重に寄せくる浦波を越えて 海路を
九重の都にいざ帰ろう

(ひとこと)
曲の冒頭、ワキの登場歌が、海と平家の繋がり、そしてシテの入水までも暗示しているようです。「ウラナミ」の重なりは、妻と夫ふたりの「ウラミ」でしょうか。
淡津三郎は重要なワキであり、この次第の役割も大きいと思われます。

結末  地謡とシテ
さて修羅道にをちこち(落・遠近)の  さて修羅道に遠近の
立つ木は敵(カタキ)雨は箭先(ヤサキ)
土は精剣山は鉄城  雲のはたて(旗手・楯)を突いて
       ・・
無明も法性も乱るる敵  打つは波引くは潮
西海四海の因果を見せて  これまでなりやまことは最期の
十念乱れぬ御法(ミノリ)の船に  たのみしままに疑ひもなく
げにも心はきよつね(清・清経)が  げにも心は清経が
仏果を得しこそありがたけれ

修羅道に落ちての有様は 
立ち並ぶ木は敵 降る雨はすなわち飛び来る矢
大地は鋭い剣であり山は鉄の城 雲は旗となり また楯を突き立てた様子
・・
迷いの心も悟りの心も入り乱れての戦い 敵を打ちまた引くのは 波や潮のごとくであると
九州や四国の海での業因の結果を見せて もはやこれまでと実際は最期の
十念を心乱れずとなえて 弘誓(グゼイ)の舟に 願いのままに間違いなく乗ることができ
まことに心の清い清経が まったく清い心の持ち主の清経が
成仏できたのは ありがたいことである

(ひとこと)
清経のドラマは現代劇に通じ、船上からの入水の場面は夢のように美しい詞章です。ひきかえ結末は修羅道の凄まじさ。
「修羅」というカテゴリーに入る曲としては当然で、亡霊は成仏を目指すという「約束通り」も頷けますが、気に入らないのは最後の「げにも心はきよつね」の部分。どうも安っぽく感じてしまいます。
「蝉丸」にも逆髪について「狂女なれど心は清瀧川と知べし」と、順逆の価値観に抵抗する彼女にはとってはいらぬ説明があります。