2012-04-30

姨捨



あらすじ 
都から男が同行と中秋の姨捨山に至り名月を待つ。里の女が現れ、姨捨の旧跡を教え、月とともに現れて夜遊を慰めようと言い、山に捨てられた女の幽霊だと名乗って消える。所の者が姨捨の伝説を語り、一行は月の美しさを詠嘆する。やがて老女の亡霊が現れ、名月を賞し、月の本地仏である大勢至菩薩を称えて舞を舞う。夜明けとなれば老女は独り残され、その姿も消える。


次第  ワキとワキツレ
  月の名近き秋なれや  月の名近き秋なれや
  姨捨山に急がん

秋も 名月に近いこととなった 秋の半ばの 名月の夜も近づいたので
姨捨山を尋ねることにしよう

(一言)
「月の名」については、漢語の「名月」を和語として表現したとか、二条良基の「たぐいなき名を望月の今宵哉」に基づくとか。知らないと意味がとれません。
中秋の名月は一晩限りです。遅れたら大変。現在は「田毎の月」に観光客が押し寄せて。


結末 地謡とシテ
  ・・思い出でたる  妄執の心  
  やる方もなき今宵の秋風  身にしみじみと
  恋しきは昔  偲ばしきは閻浮(エンブ)
  秋よ友よと  思ひ居れば
  夜もすでに白々と  はやあさま(朝・浅ま)にもなりぬれば
  われも見えず  旅人も帰る跡に
  ひとり捨てられて老女が  昔こそあらめ今もまた
  姨捨山とぞなりにける 姨捨山とぞなりにける

(昔の秋を思い返せば)思い出すのは 迷いの心
これを晴らすこともできず 今宵の秋風は 身にしみじみと
恋しいのは昔 慕わしく思われるのは生きていた時のこと
昔の秋よ友よと 思い続けていると
夜もすでに白み もはや朝になり あらわにもなってしまったので
私の姿も人に見えなくなり 旅人も帰っていく そのあとに
ただ独り 捨てられて 老女の私は 昔こそ捨てられた身であったが今もまた
その名のとおりの 姨捨山になってしまったのであった

(一言)
序の舞が舞われる格の高さ。「姨捨」に「棄老」の悲惨さはなく、ただただ更科の名月を賞賛し、懐旧の情にひたる老女です。
「秋よ友よと」の詞章はまるで近代詩のよう。
旅人を見送る老女の亡霊は孤独ですが、最後は名月とも、姨捨山とも同化し、人の世を超越した境地に達したのです。