須磨に流罪となった在原行平は、海女の姉妹「松風・村雨」を寵愛しますが、3年後許されて都に戻り病死。須磨で帰りを待ちわびていた二人も死に、今は一本の松が旧跡となって残っています。
通りかかった旅僧が弔問をしていると、二人の亡霊が現れ、汐汲みの身を述懐します。
旅僧は宿を乞い、亡霊は行平への恋慕の思いを語り、供養を願います。
姉の松風は、形見の烏帽子をつけて舞ううちに狂乱し、松を行平と見誤り抱きつくなど情熱的。
しかし夜が明ければ、浦には松風が吹いているばかり。すべては旅僧の夢だったのです。
世阿弥作の「松風」は松尽し、詞章はもちろん鏡板に描かれた松の前に、つくりものの松が置かれます。この松が姉妹の墓標になったり、行平になったり。
恋慕の情熱も「松」に託されているのでしょうか。能で松といえば不変の目出度さを象徴します。
ところが詞章を読み返したらそれだけではなかった。
さてはこの松は いにしへ松風村雨とて 二人の海士の旧跡かや
痛はしやその身は土中に埋づもれぬれども 名は残る世のしるしとて
変はらぬ色の松一木 緑の秋を残すことのあはれさよ
旅僧の台詞です。秋になり他の木々が紅葉しても、松だけはいつも緑のまま。同じように松風の恋の苦しみは変わることがない。なんとまあ哀れなことよ。
恋にも終わりがあった方が幸せですよね。秋に紅葉せず、冬に落葉しない松が気の毒に思えてきました。
とはいえ「赤い松葉」というのはどうも・・。