あらすじ
都の僧が白山禅定を志し、加賀国仏原に到り草堂に泊まろうとする。そこへ女が現れ、白拍子の仏御前のために読経を乞い、夜中読経の声が澄み渡る。やがて女は僧の問いに、寵を失い髪を下ろした妓王を嵯峨野に尋ねたことを物語り、重ねての尋ねに、草堂の主は仏と言いさして消える。僧の回向に、明け方に現れた仏御前の霊は舞を舞い、「一歩挙げざる前(サキ)をこそ、仏の舞とは言べけれ」と悟堂を示して消え失せた。
次第 ワキとワキツレ
よそは梢の秋深き よそは梢の秋深き
雪の白山(シラヤマ)尋ねん
秋深き長月、よそでは木々の梢が紅葉しているのに白山では雪が深く積もっている
その雪の白山を尋ねよう
(ひとこと)
秋深き、深き雪、雪の白きと続き、紅と白の視覚的イメージも豊かと、脚註にあります。
梢の秋から紅葉を想像するのは、続く詞章に「神のははそのもみぢ葉の」とあるからでしょう。
冒頭が「よそは」というのがめずらしく、雪で神々しさを増した白山が周辺から際立つ様子もわかります。
結末 シテと地謡
あらし(あらじ・嵐)吹く雲水の 嵐吹く雲水の
天に浮かめる波の
一滴の露の始めをば なにかと返す舞の袖
一歩挙げざる前をこそ 仏の舞とは言ふべけれど
謡ひ捨てて失せにけりや 謡ひ捨てて失せにけり
大海の水も一滴の露から起こる。
その露の始め以前は無、それこそが仏の舞なのである。
人仏不二、無の段階では人も仏も区別はないという主題を提示して終わる。
(ひとこと)
難しい仏教哲学を示されて結末となります。
しかも「謡ひ捨てて」という詞章は非常に稀で、客観性を強く感じます。
平家物語の仏御前の優しさからでは出てこない迫力、しかも静か。どこか漢詩の雰囲気もあり、とにかく不思議な曲です。