2012-08-16

定家


あらすじ
北国方から出た旅僧と供が、都千本あたりで時雨に遭い雨やどりをしようとすると、女が現れて、定家ゆかりの「時雨の亭(チン)」の由来を教え、定家の詠歌とその旧跡を詠嘆する。女は旅僧を「定家葛(カヅラ)」が這う式子内親王の墓に案内し、内親王の悲恋と執心を語る。そして自分こそ内親王と明かし救済を願って消える。夜になり旅僧の読誦のうちに葛が解けて自由になった内親王が墓より現れ「報恩の舞」を舞うが、再び墓に戻ると、定家葛がたちまち墓石を埋めてしまう。

次第  ワキとワキツレ
山より出づる北時雨  山より出づる北時雨
行方や定めなかるらん

山の北より降り出す時雨がいつとなく定めなく降るのと同様
北国より出て来たこの身もまた どこと定めない旅をすることよ

(ひとこと)
曲のキーワードは「定家」にも掛けた「定めない」だと勝手に思っています。「恋」も時雨のように俄かに身に降りかかるもの。
しかし作者の金春禅竹は悲恋より、「葛」を擬人化し「葛」を主役としているようです。謡曲「芭蕉」も彼の作品。「北時雨」は「草根集」にある言葉だそうで、植物にご執心です。

結末  地謡
露と消えても  つたなや蔦(ツタ)の葉の  
かづらぎ(葛・葛城)の神姿  恥づかしやよしなや  
夜の契りの  夢の中(ウチ)にと
ありつる所に  かへる(帰・返)は葛(クズ)の葉の  もと(本・)のごとく 
這ひ纏はるや  定家葛(テイカカズラ)  這ひ纏はるや  定家葛の 
はか(葉・墓)なくも  形は埋づもれて  失せにけり

はかなく露と消えた後も 見苦しいこと
蔦葛に巻きつかれた かの葛城の神のような姿 恥ずかしいこと つまらないこと
(葛城の神のように)夜の間の夢の中でお目にかかるだけである
と言って 墓石の所に帰ってゆくと もとのように
這いまつわるのは 定家葛の葉であって 
はなないことにも 墓石の形は埋もれて見えなくなってしまった

(ひとこと)
法華経の功徳も及ばない男女の執心が絡みつく葛に表現されています。近代劇のような結末。
禅竹は韻を踏むのが大好きで、「つゆ」「つたな」「つた」「かつらぎ」「かみ」は頭韻、「よしなや」「よる」は連韻。掛け言葉も多く、葛城説話まで採りいれてちょっとクドイですね。

(もうひとこと)
河原で外来植物アレチウリの駆除活動をしているので、何もかも覆い尽くすツル性植物の猛威が身に沁みてわかります。草というのにまるで「意思」があるような動き方なのです。