2012-08-13

田村


あらすじ
東国方の旅僧が従僧とともに清水寺に至ると、地主権現の花の下で童子が、観音の慈悲と春の花を詠嘆。旅僧の尋ねに童子は清水寺の縁起を語り観音を讃仰する。さらに童子は東山連峰の名所を教え、月下の桜花を詠嘆し「語り舞」の後、素性をほのめかして田村堂の内に消える。夜になり旅僧が弔問をしていると、坂上田村丸が読経を謝して登場。名乗りをあげ、伊勢鈴鹿の凶徒征伐と観音の瑞験を語り、千手観音に援けられた合戦の模様を再現する。


次第  ワキとワキツレ
(ヒナ)の都路隔て来て  鄙の都路隔て来て
九重の春に急がん

田舎より都への道をはるばるやって来て
さあ急ごう 帝都の春を早く見たいものだ

(ひとこと)
桜の花盛りはほんの僅かな日数です。「急がん」の詞章に旅僧のはやる気持ちが込められ、また舞台の幕開けにもぴったりの次第。
「九重」は桜の八重と一重を合わせた言葉、桜と書かれていなくても旅の目的が知れます。

結末  地謡
あれを見よ不思議やな  味方の軍兵の旗の上に
千手観音の  光を放つて虚空に飛行し
千の御手ごとに  大悲の弓には  智恵の矢をはめて
一度放せば千の矢先  雨霰と降りかかつて
鬼神の上に乱れ落るれば  ことごとく矢先にかかつて
鬼神は残らず討たれにけり
有難し有難しや  まことに呪詛諸毒薬念彼(シュソショドクヤクネビ)
観音の力を合わせて  すなはち還著於本人(ゲンジャクオホンニン)
すなわち還著於本人の  敵(カタキ)は滅びにけり
これ観音の仏力なり

あれを見よ 不思議なことではないか 味方の軍勢の旗の上に
千手観音が光を放って 空中っを飛び行き 
千手の御手の一つ一つに 大慈大悲の弓には 知恵の矢をつがえて
一度に放つと千の矢先が 雨霰と降りかかって
鬼神の軍勢の上に乱れ落ちたので すべての者が矢に当たり
鬼神は残らず討たれてしまった
ありがいことだ まことに(さまざまな危害を加えられようとした時に観音を念ずるなら)
観音が力を合わせて守って即座に(その危害はかえって加えようとした本人にもどる)
法華経の経文そのままに 本人である敵は滅びてしまったのだ
これはまさしく観音のお力である

(ひとこと)
結末部分が最高の見せ場です。地謡が、田村丸と鬼神との戦闘の臨場感あふれる有様をたっぷりと効かせ、最後は観音力の讃嘆。
満開の桜とともに「都」の華々しさを謳うようでもあります。
中央権力は従属しない辺境の民を「鬼」として征伐しましたが、芸能として伝承されるとこんな形になるのですね。
「旗の上に」「放つて」「放せば」「降りかかつて」「鬼神の上に」「矢先にかかつて」と繰り返しが多い詞章が、「アクション」場面を盛り上げます。