一番 山の淋しい湖に ひとり来たのも 悲しい心
胸の痛みに耐えかねて・・
二番 水に黄昏 迫る頃 岸の林を 静かに行けば・・
三枝子さん、さようなら。
37で発病し長い闘病生活の果ての63歳の死は、十月の末日、早朝にやってきました。
ただただお疲れ様というしかありません。でも本人は悔しかったことでしょう。火葬後の白くて若若しい骨が、「病気にさえならなければ」という無念さを伝えていました。
私にはずっと優しい兄嫁でした。わがままな両親と同居をしてくれ、私の夫や息子家族のことも大事にしてくれて、とても感謝をしています。
三枝子という名は、父親があの美人女優を好きだったから付けたのよ・・・
お父さんの期待通り、育った地方の町では美人で有名。鼻梁たかく眼元の涼しい人でした。
でも血液透析が続くと肌が変わり、「もう化粧はやめたの」と、かえって清々しい笑顔を見せて。
「棺」には、兄が持たせた寄木細工の「手鏡」がありました。
お棺に「ドングリ」を沢山入れたのは私の夫です。
まだ三枝子さんが外出できた頃、我が家を訪れるとバッグからいくつもドングリを取り出し、「なつかしいわ、駅から歩いて来たら、裏の公園にこんなに落ちていた」と見せたのだそうです。
三枝子さんは鮮やかな紅葉が好きだったかもしれない。でも、「榛名湖畔」の木々のまっすぐさに私はあなたを偲びたいと思います。
長い間、本当にありがとう。