2012-02-06

少年の木



「樹はほんとうは話せるのだと思う。」
著者は、「三岸黄太郎」の描く樹の絵からは、樹や鳥の声が聞こえてくると言います。画家はフランスのブルゴーニュに住んでいたらしく、このカバー絵も日本の風景ではなさそうですね。

長田弘は、子どもの頃の記憶に残る「一本一本の樹影の記憶をたぐりよせて」、この「詩の樹の下で」を書くつもりだったとか。
しかし詩人にとって「幸福の再認識の書」となるはずの本は、鎮魂祈りの書となってしまいました。

執筆途中での生死の境をさまよう病気、そこへ起こった「東日本大震災」。長田弘の生れ故郷は福島市だったのです。
津波は、幼少期の「記憶の森の木」を根こそぎもっていってしまった。そのうえ、

にわかにおどろくべき数の死者たちを置き去りにし、信じがたい数の行方不明の人たちを、思い出も何もなくなった幻の風景のなかに打っちゃったきりにした。


楽しみにしていた新刊でしたが、何か物足りずにいます。感受性が鈍くなったのでしょう。あとがきにある、「あたかも個人の死命さえ悲しむことがかなわないほどの、茫漠とした寂莫」。それを探してなんども読み返したのですが・・。

39篇のうち心に留まったのは「ブランコの木」と題された詩文です。(前段6行省略、1行の字数を変えてあります)
少年期の恐れと希望。木のブランコなんて私は印象派の絵でしか知りませんが、これが福島の思い出でなら、本当に大切なものを私たちは大震災の前から「失ったきり」。


ブランコの木
 
 漕げば漕ぐほど遠くへ思いきり跳びだしたくなる、公園などの遊具のブランコとは逆に、大きな木から下げられたブランコは、漕げば漕ぐほど木の影のなかへ、じぶんが音もなく没してゆくような感覚に引き込まれる。            
 木のなかへ、木の時間のなかへ、木のひろがりのなかへ、意識が浮きあがっては、またすぐに沈んでゆく。そうやって、光と影のあいだの往復を繰り返すうちに、少年は間違いに気づく。
 木のブランコをずっと漕ぎつづけてはいけないのだ。われを忘れて漕ぎつづけていると、きっとじぶんを見失ってしまう。たったいままでそこにいた少年は、もういない。
木の無言だけがのこっている。